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恋するワルキューレ 第二部

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「そうです。出版社からも、僕が直接記事を書いた方が良いだろうと言われまして。こういったものは知り合い同士の方が良い話が書けますからね」
「すごーい。店長さん、本物のカメラマンみたいね。そう言えば、写真を撮るの上手だったもんね」
「ハハハ……。とてもプロと言える腕前じゃありませんが、雑誌の撮影の仕事を手伝う内に、少しは撮れるようになってきましてね。それで僕に任された訳なんです」
「ふーん、そうなんだ……。でもそんなお仕事を頼まれてるなら、店長さん、私が断ったら困っちゃうわよね……?」
「まあ別に困るという程のことではないんですが……。原稿料も実費分ぐらいしか出ませんし。まあ出版社との付き合いと、店の宣伝になるから受けているだけですからね。だから裕美さんの気が向いたらで全然構いませんよ」
ええ!? でもそれって私が断ったら、彼も困るんじゃないかしら?
確かに私が断っても、それが直接彼の問題になることはないと思うけど……。
でも彼の仕事にも関係していることだし、全く影響がないという訳ではない。それに“彼”のためになるのであれば、私に出来ることなら助けてあげたいし手伝ってあげたい。
そうよ、裕美! ここで“彼”を助けないでどうするの?
「あのー、店長さん。私で良ければ、お手伝いするわ……」
「本当ですか、裕美さん!?」
「ええ、モデルなんてあまり自信はないけど……」
「ありがとうございます。僕も嬉しいです!」
“彼”の嬉しそうな顔を見て、裕美もちょっとドキッとしてしまう。
でも彼のお店の信用にも係わることだし、何としても成功させたい。
恥ずかしいけど、頑張らなきゃ!

* * *

次の日曜日、裕美は『ロワ・ヴィトン』のオフィスの近くにあるヘア・サロンへ来ていた。
“ココ”という名のそのヘア・サロンは、ロワ・ヴィトンの女性社員達が愛用している店で、裕美もその例に洩れず行き付けの美容院としていた。
“Chanel”の創始者、“ココ・シャネル”にちなんだお店の名の通り、内装はChanelブランドで彩られており、ブランド好きの裕美のお気に入りの場所である。休日を過ごすにはピッタリだ。
路地の奥まった場所にあるその店は、ロケーションの悪さをカバーするためか、お値段もこの界隈のサロンとしてはなかなかお手頃なのが嬉しいし、コウさんと呼ばれている若い店長のセンスの良さもあって、審美眼の厳しいロワ・ヴィトンの女性社員の間に口コミで広がった訳だ。
でもストレートヘアの裕美はいつもカットと言っても毛先を揃える程度で、本来、美容師が手を入れる余地などほとんど無い。この店に来るのも実は髪の手入れの方法を教えて貰ったり、ヘアスタイルのアレンジの方法を教えて貰うために来ていると言って良い。
一見、裕美の亜麻色の髪はカラーリングで染めたものと思われがちだが、染めた髪で裕美の様な流麗なストレートヘアは出来るものではない。カラーリングは髪を傷め易いため、どんなに髪を手入れしようと、ロングヘアにするには難しいのだ。だが裕美の亜麻色の髪は産まれ付きの髪質であるため、このヘアスタイルが可能となっている。
この店の店長やスタッフ達も裕美の髪の希少性をちゃんと分かった上で、それに合った対応をしてくれることも裕美がお気に入りにしている理由でもある。
「今日はどうしますか?」というコウさんの問いに裕美は撮影の話をすると、どうやらモデル相手の仕事も多いようで、裕美に色々とアドバイスをしてくれるのだった
「成程――、スポーツ雑誌ですか? でしたら、ファッション雑誌のモデルみたいな派手な髪形は避けた方が良いですよね?」
「そうね、私もそう思うわ。やっぱり健康的なイメージを出したいでしょうから、アレンジもなしで、ストレートで良いと思うんだけど、コウさんはどう思います?」
「僕もそれで間違いないと思います。裕美さんは髪も綺麗だから写真にも映えるし、清潔感のあるイメージを出せると思いますよ」
コウは裕美の背中に届く長い髪を揃える様にカットしながら話を続けた。滑らかで細い亜麻色の髪は、それ程手を入れなくとも十分に見栄えするものではあったが、彼も何か考えがあるようだ。裕美の髪を手櫛で梳きながら鏡でチェックしていた。
「そーですねえ。ただ写真の撮影をするんでしたら、ちょっと仕掛けを入れる必要がありそうですね」
「あら? 仕掛けって何かしら?」
「ロングヘアだと、動く度に顔が隠れてしまうので、ちょっと撮影の邪魔になるんですよ。ですからね、こうやって――」
そう言って、裕美の髪をたくし上げ、小さなヘアピンで髪を留めて始めた。そのヘアピンも髪に隠して傍目からは見えない自然なスタイルにしている。
「どうですか? ちょっと動いてみて下さい」
裕美は首を傾け、鏡で髪の動きをチェックした。確かに動いても髪で顔が隠れないようになっている。
「すごいわー! こんな方法があったのね?」
「まあ、撮影のためだけですから、普通はこういったことはしないんですけれどもね。
「それとストレートは髪の光沢が命ですから、綺麗に見せるためにトリートメントは少し多めに付けておきましょう」
コウはスプレーをかけ、髪に馴染ませるよう仕上げを済ませた。
裕美はコウにありがとうと言いながら、すぐに鏡に映る自分の髪形をチェックする。正面から見た後、左右に首を振り髪の動きをチェック! その目は真剣そのものだ。
C’est parfait! 《セ・パルフェ!》
これで撮影も完璧よ!

* * *

「店長さん、お待たせーー!」
裕美は店を出ると、急いで“彼”が待つ車の元へ走って行った。
「こんな所で待たせちゃって、ごめんなさいね。あら、だいぶ時間が過ぎちゃったみたいね? 店長さん、急ぎましょ!」
一応ごめんなさいとは言われたが、男を待たせることに何の罪の意識もない裕美の明るい声に、彼は少し戸惑いながらも平気ですよと答え、早く出発しましょうとばかりに車のエンジンをかけた。助手席にはロードバイクやカメラの雑誌が何冊か積まれており、かなりの時間を一人で待たせてられていたことが分かる。
「遅くなってごめんなさいね。でも、店長さん。あのサロンのコウさんって人がね、有名なモデルの撮影に付き合ったことがあるらしくて、メイクや撮影のコツなんかも色々教えてくれたのよ。わたしモデルなんて自信がなかったから、安心できたわー!」
「そうですか……、それは良かったですね……」
彼は軽いため息を付きながら、言葉短く裕美に答えたのだった。2時間近く待たされはしたが、プロのモデルと違って自分で髪のセットもメイクもしなくてはならない裕美が言うのだ。増してや裕美にモデルを頼んだ身としては文句を言える立場ではない。
幸い撮影用のスタジオはここから遠くないので時間的な問題はないが、少々先が思いやられてしまう。
裕美はそんな彼の気持ちを察することなく、美容院での話を楽しそうに話し続けていた。
女の子が髪を切るのに――、いや自分が綺麗になろうと時を過ごすことに、人を待たせる非礼さなど思考の埒外に消えてしまうようだ。

* * *

「裕美さん、付きましたよ。ここが撮影スタジオです」