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恋するワルキューレ 第二部

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やったー! “あのグリップ感”さえ掴めれば、こっちのものよ!
 身体の軸とその支点さえ掴めれば、平衡感覚はすぐに取り戻せる。
裕美は落ち着きを取り戻してバランスを確保し、スリップをしないように少しだけブレーキをかけた。
まだコーナーの外側にスペースがあることを確認して、遠心力に逆らわずラインを大きく取る! 
裕美とデローサは大きな弧を描き、このヘアピン・コーナーを走り抜けた!
 ふう、転ばないで済んだわ……。
しかし裕美がホッっとするのもつかの間、後方のローランから声がかかる。
『ヒロミー! 下りだヨー! 前を見テー!』
 えっ、前?
 裕美が改めてコースの前方を見ると、眼前には長い直線の下り坂があった。まるで競技スキーのゲレンデの様に距離が長く、そして相当に斜度がキツイ!
ローランに返事をする間もなく、『デローサ』がグングンと勝手に加速して行く!
きゃーっ! 何この下り? 練習で走った皇居の下りより全然キツいじゃない!?
裕美はとっさに姿勢を低くした。ゲレンデを高速で滑降する時と同じ様に、重心を低くし車体を安定させるためだ。
しかし姿勢を低くしたことで逆に空気抵抗が少なくなり、裕美の意に反しますますスピードが上がる!
ブレーキ!? やっぱり、減速した方が良いの!?
裕美がブレーキに手を掛けようとした瞬間、一台のロードバイクが裕美の横を一気に追い抜いて行った。
うそー!? あんなスピードで平気なの!?
そのロードバイクはまるでスキーのダウンヒル競技の様に姿勢を低くして滑降して行った。ペダルを回転させている訳でもないのに、裕美より明らかに一段速い!
あんなに速く走れるんだ!? 本物のアルペンスキーみたい!?
それなら、私だって行けるんじゃないかしら?
そうよ! 伊達に毎年スイスに行っていた訳じゃないわ!
裕美はブレーキに掛けられていた手を離し、しっかりとハンドルを握った。
スキーの直滑降の時と同様、姿勢を低くし重心を下げて高速走行での安定をはかる。
ペダルを漕がなくともドンドン加速して行くが、スキーのゲレンデと違ってサーキットの路面がフラットな分、車体が暴れることもない。
思ったよりも怖くないわ! これなら好きなだけスピードを出せちゃう!
Super! Vite! Vite! 《シュペール! ヴィッテ! ヴィッテ!》
《スゴーイ! もっと速くー!》
裕美は高校時代、スイスのツェルマットで滑っていた頃を思い出した。
スイスのスキー場は森林限界を超えた場所にあるので、日本のそれとは比べ物にならない程、広くそして長い。日本で何度か滑ってみたものの、狭くコブだらけの日本のゲレンデに嫌気が刺し、しばらく滑るのを止めていたが、こんな爽快な気持ちは久しぶりだ。ロードバイクであのスピードを感じることが出来るとは思わなかった。
遠くの物があっという間に、目の前に飛び込んでくる異次元の感覚!
頬や胸に当たる風とそのスピード感!
手や身体に伝わる振動とそのスリル!

 怖いー! でも、楽しいー!!

思わずジェットコースターに乗っている時の様に、キャーと悲鳴を上げようかとも思ったが、残念なことに裕美がダウンヒルの喜びを知った時にはもう富士スピードウェイの下り坂は終わりつつあった。
 もう! 折角、良い気分だったのに、こんなすぐに終わっちゃうなんて!
 でも、まあ良いわ。もう一周走れば、またこのダウンヒルを走れるんだしね。
それより、ローランはちゃんと見ていてくれたかしら?
『ヒロミー! 平気かいー?』
フラットな区間に入り、スピードも落ちいた所で、ローラン達が裕美に声をかけてくれた。
『ヒロミ、ドウだった? さっきの下りは怖くなかっタ?』
『凄い、面白かったー! サーキットのダウンヒルって全然怖くないのね!』
オオーー!
“Vraimment?” 《ヴレマン?》 『本気かい?』
“Pas possible!” 《パ・ポシーブル!》 『あり得ないヨー!』
ローラン達は、裕美のセリフを聞いてちょっと驚いた様子だ。信じられないとばかりにフランス語で感嘆とも驚きとも言える言葉を次々と発している。
『スゴイね、ヒロミ!! 女の子は普通、怖がってそんなスピードを出せないヨ。さっきのコーナリングも上手だったし驚いたヨ』
『ありがとう、ローラン! でも、スキーのダウンヒルに比べたら全然怖くないわよ! ホント、楽しかったわ! もう一周しましょうよ!』
『そうなんダ、ヒロミはスキーも滑れたんだネ。それなら、これくらいのスピードだって怖くないよネ』
『いや、ローラン! ヒロミはきっと、『スピード・ジャンキー』なのサ。こんなに下りを走れる女の子はいないヨ。初めて一緒に走った時、かなりのスピードを出していたのに、ヒロミは簡単に僕らのトレインの中に入れたンだからネ』
『いや、アンリ。女の子だからジャンキーじゃない。”Speed fetiche” 『スピード・フェチ』かもネ』
『シャルルー! 恥かしいから、そんな言い方は止めてよー! もう、女の子だからって遅い訳じゃないのよ。それにどうせなら"Speed Lover"『スピード・ラバー』って言って欲しいわ!』
『ハハハ、”Speed Lover”はイイね。ヒロミにぴったりだヨ。クルマでも相当飛ばしているみたいだしネ』
『ああ、ヒロミの『ルーテシア』を見たけド、あれかなり“走る”クルマだヨ。女の子が乗るクルマとは思えない。やっぱり『スピード・ジャンキー』かナア』
『アンリ、シャルル、違うのよ! あれはフランス人の友達が安く譲ってくれるって言うから、たまたま乗っているだけで、そんなわたしスピードなんか出さないわよ!』
『ハハハ、ゴメン、ゴメン。思ってたよりヒロミが走ってくれそうだから、うれしかったのサ。次も下りがあるけど、そこも気を付けてネ。下りの後の直角コーナーが狭くなっているから、集団で走ると危ないンダ』
『”Oui!”《ウイ!》 気をつけるわ』

* * *

「裕美センパーイ、お疲れ様でーす!」
裕美が試走から戻ってピットインすると、舞が声を掛けてくれた。
もっとも裕美に声をかけてくれるのは舞しかいない。ロワ・ヴィトン応援団の女の子達は、ローラン、アンリやシャルルの元へ我先へと鼻息を荒くして突進して行く。
「「ローラン、お疲れ様―!」」
「「アンリ、シャルル! お水もあるわよー!!」」
「「みんな、凄くカッコ良かったー!」」
みな自分を売り込もうと積極的にローラン達に声を掛けていくし、あれこれも話をしようとローラン達を取り囲んで離さない。
裕美はそんな光景を見て、流石にムッととしてしまう。
彼女らはローラン達に絶えず話しかけて、休む暇さえ与えないからだ。
もうあの子達ったら何を考えているのかしら!?
もちろん彼女らがローラン達と話をすることなど一向に構わないし、折角ここまで応援に来ているだから、それくらい許してあげないと可哀そう。
でも、ものには限度というものがある。これからレースの準備も色々しなくちゃならないし、ローラン達だってわたしのペースに付き合ってくれたおかげで、まだ十分にウォームアップも出来ていない。
ローラン達も流石に彼女らを邪険に扱うことも出来ず困っている様子だ。