恋するワルキューレ 第二部
『裕美のデローサもエレガントだねえ。フレームのカラーに合わせて、赤のホイールをチョイスするなんて。Fulcrum《フルクラム》のRacing Zeroだね?』
4人はテラスのテーブルを立って走りに行くのかと思えば――、今度はお互いのバイクの鑑賞会に入った。
おいおい……。
読んでいる方も、一体いつ走りに行くんだ?と思われるかも知れませんが、これもロードレーサー達のお約束なのでご容赦を。
こう言った類の話は、茶道の茶会の様なものだと思って貰えばピッタリです。
茶道においては、実はお茶を飲むことやその作法自体にあまり意味はなかったりします。嘘の様ですけど、本当です。
実際、皆さんも“茶道”にも関わらず、どの産地の茶が上手いとか、抹茶のブランド等を語られた話などを聞いたことがないでしょう? 話を聞くのは、茶器とか道具がどうのこうのと言う話ばかりです。
茶道においては、むしろ茶器の善し悪しや掛け軸の書画を理解する知識、床の間に活けた花の巧拙等を評価する審美眼の方が重要です。お茶はこれらの美術品を鑑賞し、趣味の合う仲間と話を楽しむための“場”を提供するのがその役割なのですから。
ロードバイクについても実は同じ様なもので、どのお店の何が美味しいとか、どのブランドのどのパーツが良いとか、どのコースの景色が良いとか、走る行為自体よりもそちらの話の方が盛り上がることが多いんです。楽しみ方の幅を狭めてしまうことは、どんな趣味においても無粋と言うものです。
うーん、それにしても、ローラン達の美的センスは流石よねえ。
ローラン達のバイクに対する裕美の称賛はお世辞ではなかった。ロードバイクについては初心者の裕美からみても、彼らのバイクのセンスの良さがよく分かる。
彼らはジャージだけでなく、バイクまでチーム仕様で統一しているのだから凄い。みな“LOOK”というブランドのロードバイクに乗っているのだ。
『ローラン、凄いわね。バイクまでワン・ブランドで揃えているなんて。本当にプロチームみたいね?』
『そうなんダ。でも別にウチのチームはこのバイクって決めている訳じゃなくて、みんなが好きなバイクを選んだらこうなったんだヨ。フレンチ・ブランドのバイクだし、デザインもエレガントだしね』
確かにローランの言う通り、彼らのバイクのデザインはとても上品なものだった。黒と白をベースに金色や赤のラインがバランス良く配置されている。フレンチ・ブランドなのに“LOOK”という英語名は頂けないが、このメーカーがグローバル・ブランドとしての証なのだろう。
しかも驚くのは“LOOK”のフレームだけでなない。みなが履いているホイールも凄い。
ローランのバイクはCampangolo《カンパニョーロ》というブランドの"Shamal"《シャマル》という美しい金色のホイール。アンリのバイクはヒロミと同じ赤いカラーが印象的なFulcrumのRacing Zero。シャルルはブランド名の"Campangolo"、"BORA"《ボーラ》と書かれたグラフィックが鮮烈なカーボン製のディープリム・ホイールを履いている。
どのバイクもオーナーのファッション・センスを高さが感じられ、見る者を唸らせるものばかりだった。
うんうん、流石ロワ・ヴィトンの社員の人達ね。こんな人達と一緒に走れるんだから、ロードバイクに乗るのもますます楽しくなるわ。
『おっと、ヒロミ! また話が逸れちゃったネ。今度こそ走りに行こう!』
『そうね。お喋りばかりじゃダメよね。でも走るのを忘れそうだったわ!』
さて今度こそ、4人はトレインを組んでサイクリングロードを走り出した。
裕美を空気抵抗の低い中央にキープしながら、アンリ、ローラン、そしてシャルルが代わる代わるローテーションで先頭交代を繰り返し走って行く。
ロードバイクで平地を疾走して行くその姿は、古代ギリシャ時代の重装歩兵『ファランクス』そのものだ。そのスピードは『ワルキューレ』の実業団チームの走りと全く遜色はない。彼らは裕美に合わせて“手加減”はしているが、それでも十分速い。
『ヒロミ! 女の子なのに、スゴイ速いネ。このスピードで付いて来れるなんて驚いたヨ』
『ハア、ハア……。ローラン、ありがとう……』
流石にローラン達のトレインに付いて行くのは厳しいようだ。裕美も余裕を持って話すことは出来なった。
『おっと、ゴメンね。もう少しペースを落とすヨ』
先頭のローランがペダルを踏むのをやめて、スピードを徐々に落として行く。
フウ……。ちょっと、息付けるわね。
ハア、ハア、フウ……。
『ヒロミ、大丈夫かい?』
『全然、平気よ。ちょっと苦しかったけど、こんな速いスピードで走れて楽しかったわ!』
喜ぶ裕美の笑顔が、彼らに対する遠慮やお世辞ではないことを示していた。
基本的に運動が嫌いではない裕美にとって、キツイと言ってもこれ位なら全然ウェルカム。甘いカスタード・クリームを刺激的にするエスプレッソの様なものだ。もちろんシュガーは入れないのがお約束。
『でも、裕美も速いネ。流石ヒルクライムで入賞することはあるヨ』
『そんなことないわ。ローランの後ろを走るだけで精いっぱいよ。でもローラン達はあのヒルクライムには出なかったの?』
『ボク達はヒルクライムはあまり得意じゃないから出なかったんダ。坂を登るヒルクライムは体重の軽い人の方が有利だからネ』
確かにローランだけでなくアンリもシャルルも背も高く、日本人よりガッチリした筋肉質の体型だった。
『ふーん、ロードレースって、体重の違いで得意なものってあるんだ?』
『そうだよ。だから僕らはヒルクライムより、平地を走ることが得意なんダ』
一般的にロードレースでは、坂道を登るヒルクライマーは細身の体形の人が多く、平地を走るスプリンターは筋肉質のガッチリした体型の人が多い。裕美はそんな体格の違いで得意、不得意があることを初めて知った。
『だから僕らはヒルクライムよりサーキットを走ることが多いネ。『富士スピードウェイ』に『鈴鹿サーキット』、あと『ツインリンクもてぎ』なんかも走ったんだヨ』
『えー!? それってF1でも走るところじゃない。そんなところをロードバイクでも走れるんだ?』
『モチロンだよ。個人レースだけじゃなく、チームで一緒に走る大会も多いからネ。それでアンリやシャルルと一緒に大会に出たりするんダ。ボクらのチームは結構有名なんだヨ』
『そうよね……。ローラン達、本当に速そうだもの』
『どうだい? 裕美も一緒に出てみないかい? 『チーム・エンデューロ』っていうチームレースがあるんダ』
ええ? でも『チーム・エンデューロ』って何?
それに“チーム”って、ロードバイクでどうやって団体戦を走るのかしら?
* * *
「センパーイ! 昨日はローランとどうでした? イイなあ、ローランとどこか行ったんでしょ?」
「もう舞ったら、何を言ってるのよ! アンリやシャルルとも一緒だったのよ。それにただの自転車の練習なんだから、期待するようなことはないわ」
「えー!? でも彼らと一緒に居れるだけだってイイじゃないですかあ? 今度わたしも一緒に連れて行って下さいよぉ?」
作品名:恋するワルキューレ 第二部 作家名:ツクイ