恋するワルキューレ 第二部
野菜や果物も全くない。つまり栄養の偏ったコンビニやテイクアウトのお弁当に頼っていて、必要な他の栄養はサプリメントで補充しているということだ。腐った野菜等が冷蔵庫にないのは良いけど、彼の偏った寂しい食生活が見えてくるようで、逆に悲しくなってしまう。
ところが――、裕美はちょっと安心した様子で、うんうん、と納得した様子で頷いた。
「うん、まあ良いわ!」
「えっ? 裕美さん、これが、良いんですか?」
「うん、問題ないわね。OKよ、店長さん!」
そう言うと、次に裕美は“彼”の脇を潜り抜けて――、クローゼットをいきなり開けた!
「ちょっと、裕美さん、何を見てるんですか!?」
クローゼットの中の衣類は確かに洗濯はされて清潔にされている。
だが――、中のシャツやジャケットらは全く畳まれておらず、乱雑に積まれたままだ。ハンガー等に掛けてあるものなど全くない。
中のタンスを開けてみると、ロードバイク用ジャージやTシャツが飛び出すように溢れ出て来た。
洗濯した後、畳まずに無理矢理にタンスに押し込んだのだろう。ギュウギュウに詰め込んでいたのが見てとれるというものだ。
「わああ、裕美さん。それじゃ痴女ですよ、痴女!! 反則を通り越して犯罪です!」
「うんうん、全然OKよ。店長さん!」
「えっ、これが、OKなんですか?」
「そうよ! 男の人らしくて良いじゃない!?」
「はあ……、そうですか……って誤魔化さないで下さい!」
「あら、ごめんなさい。荷物を運ばなくちゃと思って……」
「嘘を付かないで下さい! 冷蔵庫の中に何を入れるって言うんですか!」
「ごめんなさい。ちょっと悪戯したくなって……。まさか、店長さんのお部屋がこんな凄いものだと思わなかったから」
「嘘でしょう! 絶対、嘘ですよ!」
「でも店長さん、お部屋をこんなに散らかしっ放しじゃダメよ」
「ですから、これはショップの売り物でもあるんです。カメラだって仕事で使うし、遊んでいる訳じゃないんですよ!」
「そうね。店長さんが、真面目にお仕事をしてるのは、よーく分かったわ。今度わたしもお手伝いしてあげるから、ちゃんと片付けましょう」
「お断りです! 何をされれか分かったもんじゃありません!」
「大丈夫よ。店長さんも男の人なんだし、少しぐらいは大目に見てあげるわ。わたしって心がすごーく広いんだから!」
「裕美さん! 何を探そうとしてるんですかあぁぁ!」
「それに店長さん。コンビニのお弁当ばかりじゃ、ダメよ! 栄養が偏っちゃうんだから」
「仕方ないじゃないですかあ! 一人暮らしだし、仕事もあるし、料理なんてしてられませんよ!」
「店長さん、そんな怒らないで。晩御飯はわたしがご馳走するから! 美味しいものを、お腹一杯食べさせてあげる!」
「そうですか、それじゃ有難くご馳走になります……って、誤魔化さないで下さい!」
フフフ……。
“彼”に怒られつつも、裕美は心は緩みっ放しだ。
どうやら、店長さんに彼女はいないのは本当の様ね。
女の子が居たら、こんな部屋のはずないもん。
「あのね、店長さん。今度、わたしがお弁当を作ってきてあげるから、食べてみてもらえないかしら?」
第7話、終り。
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第8話『ファランクス編〜ローラン登場! 〜 今すぐここでキスして……』
Oui, d'accord. je vais envoyer le contrat et les documents en courrier.
A bientot.
《ウィ、ダコール、ジュ ヴェ アンボワイエ……。ア ビアントゥ!》
『はい、分かりました。契約書と書類を送ります。それでは、またお願いします』
裕美はフランス本社の担当者との電話を切ると、すばやく思考を日本語に切り替え後輩の舞へ声をかけた。
「舞ー! 契約書の文面はOKを貰えたから、これを正本で印刷してパリのリーガル・オフィスと○○弁護士事務所の△△先生の所に送ってもらえない。それから複本の保管もよろしくね」
「はーい、裕美先輩、了解ですー!」
裕美は後輩の舞に契約書のドラフトを渡し、すぐにフランス語の契約書を日本語に翻訳する作業に入った。
カタカタカタ……。
「ランセニュマン……。アンフェルマシオン・ドゥ・プルミエール……」
キーボードを叩く音と、裕美が翻訳作業をしながらフランス語を呟く声が静かなオフィスに響いている。
裕美は高級ブランド『ロワ・ヴィトン』の東京支店の”Legal Bureau”《リーガル・ビューロー》、つまり法務部で働いているOLだ。でも只のOLという訳でもない。裕美は高校時代にパリに住んでいたこともありフランス語も堪能で、何よりも弁護士の資格まで持っていることから、エレガント・インテリジェンスが集う『ロワ・ヴィトン』の中でも、一つ抜きん出た“エリート・ウーマン”的な存在である。
もっとも弁護士と言えども、いわゆるロースクール制度が始まって以来、大量の弁護士が粗製濫造されるようになった今では、弁護士と言えど少々“エリート”と言い難いのも事実である。裕美もそんな“ゆとり世代”の弁護士の一人だった。
しかし裕美は中学・高校とパリに住んでいたことからフランス語も堪能で、その特技を活かし高級ブランド『ロワ・ヴィトン・ジャパン』で働くこととなった。
裕美のロワ・ヴィトンでの役割は、“リエゾン”と呼ばれるパリと東京の連絡役・調整役的なものだ。もちろん只の“連絡役”ではない。訴訟、著作権・意匠権の管理、契約等の専門的な法律問題について、ロワ・ヴィトンのパリ本店と東京支店、また顧問弁護士との連絡など、法律の知識と専門性の高い語学能力が必要になる。何しろ日本とアメリカやフランス等の国際企業とでは、契約に対する概念と実務が全く異なるため、単にフランス語が出来るだけではお互いの話が通じない。
例えば契約書一つだって、日本のお互いの信用を基礎とした薄っぺらいものではない。ロワ・ヴィトンの様な国際企業で契約書は“バイブル”《聖書》とまで言われる分厚い書類の束になる。そこには用語の定義や紛争の際の仲裁人、裁判所の指定。契約金額と手数料計算のための詳細な計算式の記載。お互いの会社の信用能力の証明のための財務諸表。契約の更新、破棄、解除に関する事前の取り決め。また国際間取引の為、時差、祝日等の違いの補正から、為替レートの決定方法までと……。ありとあらゆる事態に備えた規定が契約書に記載されることになる。“バイブル” 《聖書》と呼ばれるのも伊達ではない。全てが“聖書”の御言葉で決まるからだ。
そんな法体系とカルチャーの違いを理解し、かつフランス語に堪能な人材というのは極めて少ない。そんな裕美の能力もあって、ロワ・ヴィトンで働いて今年でまだ2年目だが、チーフクラスのポジションで働いている。
そして同じ法務部で働いている後輩の舞は、裕美より入社年次は1年だけの違いしかないが、裕美は大学を卒業した後もロースクールに3年も通っていたので、歳も4つ程離れている。そのため舞は、仕事もできる裕美に憧れ姉の様に慕っていた。
「裕美センパーイ、そろそろランチに行きませんか?」
作品名:恋するワルキューレ 第二部 作家名:ツクイ