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恋するワルキューレ 第二部

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カメラじゃなくて、わたしをちゃんと見てね……。

* * *

「裕美さん、それじゃあ、ちょっと待っていて下さい。荷物を片づけてきます」
「うん。わたしは平気だから、そんな急がなくても良いわよ」
「すいません。すぐ戻ってきますから!」
そう言って、“彼”はルノー『カングー』のトランクから荷物を降ろしマンションへ運んで行った。
そう、ここは“彼”の自宅のマンションの前なのだ。
“彼”が荷物を片付けた後、裕美も自宅まで送って貰うことになっているが、このままただ帰るだけでは、折角“彼”に付き合った意味がなくなってしまう。裕美としても、出来ればこの後“彼”とゆっくり食事ぐらいはしたい。
そうねえ、彼も撮影で疲れているだろうし、あまり遅くまで付き合わせるのは悪いけど、ちょっとくらいは一緒に居ても良いわよね。雑誌の記事をどう書いてもらうとか、どの写真を載せるとか相談したいこともあるし……。
うんうん、そうよね。それ位、OKよね。
彼だって疲れているだろうから、ご馳走してあげなきゃ!
あ、でも彼って沢山食べるみたいだから、わたしの好みに合わせたら困るわよね。あまり行ったことないけど、家の近くのハンバーグ屋さんとかの方が良いのかしら?
でも、折角家まで送ってくれるんだから、食事だけなんてもったいないわぁ。わたしの部屋でコーヒーぐらいサービスしたいわあ。確か、ケーキの買い置きもあったし――。
ああぁ、でもやっぱりダメ。一人暮らしの女の子の部屋に、そんないきなり誘うなんて、逆に変に思われちゃうかも知れないし……。ここはやっぱり順番通り、まず二人で食事からよね。そうよね!
 今時の女子高生でもしないチープな妄想を繰り広げている時に、ほんのちょっと裕美の心に魔が差した。
あら? でも、ここって店長さんのマンションなんだから、彼の部屋ってどんな感じなのかしら? 男の人の部屋なんて見たこともないし――。
そう考えると裕美も俄然興味が湧いてくる。
荷物の運ぶのを手伝うからってことで、十分良い訳も出来ちゃうわよね? そうよね。ちょっと見るだけだったら……。
そう思うと迷いはない。裕美は車を降りてマンションのエントランスへ入って行った。郵便受けに『滝澤』と“彼”の名前が書いてあるので、どの部屋かは直ぐに分かる。
“彼”の部屋のドアの前に立ち、ちょっと一息深呼吸をして――、裕美は声を掛けながらそのドアを開けた!
「店長さん、わたしもお手伝いするわ! 何を運べば……」
その瞬間、裕美は唖然とした。
何、ゴミの山は? 
裕美の目に飛び込んできたのは、部屋への入口も兼ねたキッチンに詰まれた不法投棄の不燃物ゴミの山だった。
一応、それはロードバイクやマウンテン・バイクの様にも見えるが、それらは全てフレームから分解されて、自転車の原型を留めていないものばかりだ。そんなフレームやホイール等のパーツが天井からぶら下がっていたり、アルミのラックの上にも下にも山の様に積まれていたりで、裕美も一体それが幾つあるのか分からない。
しかもそれらのパーツやフレームに共通しているのは、お店に飾ってある新品のそれと違って、全て使い古した中古品・ジャンク品ばかりだと言うことだ。
傷やペイントが剥がれたそれらのパーツは、お世辞にも綺麗とは言えないものばかり。おそらく自転車のパーツが入っているであろう汚れた段ボールの箱が乱雑に積まれ、他にも自転車を入れるケース等や旅行用の大型キャリアバック等、あるものを数え上げれば切りがない。
もちろんそこにはキッチンの本来の役目を果すべきフライパンや食器の類も一切ないし、食事をするテーブルもない。コンビニのお弁当の残骸の山が、キッチンらしき姿を垣間見ることが出来る唯一の品だ。
そして奥の部屋には、パソコンとプリンターが並ぶ机、それにベッドがあったが――、普通なのは、ハイそこまで。本棚はロードバイクやカメラの雑誌で今にもこぼれ落ちそうな位だし、他にもカメラが入ったアルミボックスや三脚台、他はキッチンと同様で、以下略……。
流石の裕美もあんぐりと口を開けて固まっている。
そして何より驚いたのが、その部屋に立ちこめる“臭い”だ。
ロードバイクに乗ると大量に汗をかくし、次の日もジャージを使う必要があるので、洗濯はこまめにすることになる。男の人の“汗臭い”臭いはない――。
うんうん、これはOKね。店長さんの清潔感の良さは確かよね。
食事も全部コンビニやお弁当屋さんで済ませているのか、ここでは一切料理をしない様で生ゴミなどの臭いは全くない――。
うーん、料理も出来ないのはちょっと残念だけど、男の人だもん、これは仕方ないわよね。
裕美は、それを善しとした。
トイレやお風呂の水回りも、それなりに掃除しているようだ。カビ臭いニオイも特にない――。トイレが汚いなんて、たとえ誰のものであっても、絶対に見れるものではない。
ふうぅ、これはちょっと、安心したわあ……。
ここまでは良かった。まあ、十分及第点だ。
ところが、その部屋は人のものではない臭いで充満していた。古い工場の様な機械油の臭いだ。これには流石に裕美も顔をしかめざるを得ない。
ここって、人の住む部屋なのかしら? 倉庫か、工場の間違いじゃないの?
女の裕美がそう思うのも無理はない。その部屋にには、汚れた自転車の部品や、ウェス、ブレーキオイルからにじみ出る臭いが充満し、裕美も息が詰まり、本当に目まいがするような感覚に襲われる。
「裕美さん、何でこの部屋に!?」
裕美の乱入に気付いた“彼”もその場で固まった。
こんな不法投棄の山の様な部屋にしておきながら、女の子に見られるべき部屋ではないことを一応は認識しているようだ。全く、拙そうな顔をするなら、どうしてこんな状態に?と聞きたくなる。でもそれが男の性と言うものだろう。
「えーと……、ここ店長さんのお部屋よね? 随分、色んな物があるのねぇ……?」
「ああ……、ええ、そうなんですが……。まあ、古いロードバイクのとかを捨てる訳にもいかないじゃないですか? 自分の愛車だった訳ですし……」
「でも、この段ボールの山は……。なんか古い油の臭いがするのは、わたしの気のせいかしら?」
「ええと、まあ……、古いパーツとか後で使えることもありますし、お客様に譲ることもありますから捨てる訳にもいきませんし……」
「えーっと、店長さん。ここって『ワルキューレ』のお店の倉庫なのかしら? わたし何か勘違いしていたのかなあ?」
「ハハハハ、そうです。そんなもんです。だから裕美さんが見てもしょうもないものばかりですよ。ささ、車で待っていて下さい。すぐ戻りますから」
「フフフ……、そうなんだあぁ。それじゃ店長さん、荷物を運ぶのをお手伝いするわ」
そう言うと、突然裕美は勝手に部屋に上がり込んで、冷蔵庫のドアを開けた。
「うわああ、裕美さん! なんですか? 冷蔵庫なんかそんな勝手に!?」
何? 冷蔵庫も空っぽ……。
冷蔵庫の中には何も入っていなかった。いや、一応あるものはあった。しかしそこにはミネラル・ウォーター以外はプロテインやビタミン剤等のサプリメントしか入ってない。
そんなものしかないなら、まだ空っぽの冷蔵庫を見る方が良かった。