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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~現世編~

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第十章「幸せの形」



「春江様!」
「菩薩様!」
「行かないで下さい!」
 異形なる者たちは、春江が地獄に堕ちるのを間近に見て、悲鳴にも似た叫び声をあげていた。ロンによるジュネリング強制失効を防いだ時のように、春江の盾になろうとするが、今度はどうも具合が違う。それは結界官による春江を取り囲む結界があることである。
 壁のような結界に阻まれ、異形なる者たちは立ちすくむしかなかった。
 春江は、保安官のジョンが目の前に現れたことを確認すると、演奏をやめ、深々と礼をした。
 ジョンはこれまで醜く抵抗したり、命乞いしたりする霊ばかりを相手にした。地獄に堕とそうとしているわけだから、そのような抵抗はある意味当たり前だと思っていた。それ故に、拍子抜けして暫く呆然としてしまった。
「天使様、お待ちしていました。宜しくお願いいたします」
 そう言いながら、首にあるジュネリングをジョンに差し出した。その様子を、仁木や春江を味方する天使達は、なす術なく見つめていた。このように結界官が結界により拘束し、保安官がジュネリングを破壊しようと現れると、もうどうすることもできないことをよく分かっているからである。
 仁木は、それでもなお、何も対処せずにただ春江が地獄に堕ちていくことを見続けることしかできない苛立ちから、
「うーー……うーー……」
 とうめくしかなかった。
 異形なる者達は、結界にぶつかっては倒れ、ぶつかっては倒れ、それでも諦めずに春江を守ろうと結界の中に入ろうとした。中には、春江が地獄に堕ちることが現実的になったとして泣け叫ぶ者や、春江の名前を呪文のように連呼する者などがいて、騒然としてきた。
 ジョンは、春江が抵抗しないことから、余裕をもって周りを見渡すことができた。これまで、ジュネリングの強制失効を行う際、周りの者は、自分に被害が及ばないようにするためか、または、無関心であるか分からないが、こちらの様子を眺めるだけで、何ともあっさりとしていたものだった。
 しかし、今回は明らかに様子が違う。この場にいる者全員が、春江の地獄に行きに対して悲しみを浮かべている。結界をはらなければ強制失効の邪魔をしていただろう。邪魔をしたら自分たちも地獄に堕ちるのは分かっているはずなのに、どうしてそこまでする必要があるのだろうか。これがエンジェルビジョンが言う「誘惑」という現象なのだろうか……ジョンは自らの思考の及ばぬ現象に戸惑った。
 真偽がどうあれ、自分の職務を全うするのが課せられた使命だと判断し、強制失効の作業に取りかかることにした。
 ジョンが春江に近付くと異形なる者達の叫び声が大きくなり、いよいよ緊迫した場面にさしかかった。春江は、にこやかな笑顔で穏やかにジョンの行為を待っている。その笑顔に飲まれながらもジョンは一歩一歩近付いた。
 ジョンは脇に挿した刀を抜くと静かに振った。ジョンの一振りは空を斬ったが、それが衝撃波となり、春江を襲った。ピンポイントに春江の首にあるジュネリングに到達すると
――――パリン
 と音を立てて壊れてしまった。
 春江の地獄行きが決定してしまった。為す術なく、仁木を始めとした霊たちが悲痛な叫びを上げた。それは悲鳴だけに留まらず、怒号が飛び交うにまでに発展した。
 仁木は、ただただ無言で膝をつき、目を見開きながら呆然とした。
 春江は、ジュネリングが破壊され、自らの体が発火するのを確認すると、ジョンに向かって深々と頭を下げ、
「天使様、ありがとうございました」
 と礼を言った。地獄行きに導いた自分に礼を言う。これまで罪を犯した霊たちに恨まれたり、醜く命乞いをされたりしてきたジョンにとって、春江の言葉は信じられないものだった。
 その瞬間、春江を覆っていた威光が更に輝きを増した。罪を犯してもなお、消えなかった威光。地獄行きが決定して更に輝きを増す威光。地獄に行くことによって境地を高める春江をジョンは驚きの眼で見つめた。
 体が激しい勢いで燃えているにもかかわらず春江は痛みを全く顔に出さず、当たり前のようにバイオリンを構えた。
「春江様!」
 異形なる者達は、身を焼かれる苦痛を省みずに自分たちのために演奏しようとしている春江に仏の姿を重ね合わせた。この方こそ菩薩様だという思いから拝まずにはいられなかったのである。
 春江は、シューベルトのセレナーデを弾き始めた。この曲は、以前ベリーのために演奏した曲であった。
「白鳥は死ぬ直前だけ美しい声で鳴くんです。自ら死に際を見極め美しく散りたい」
 と言い、ベリーはシューベルトの「白鳥の歌」の中からセレナーデを選んで演奏させたのである。
 今思えば、自らの思いを貫くために地獄行きを覚悟していたのかもしれない。と春江は思った。
 ベリーと同じ道を辿る自分へのはなむけに、そして自分のために尽くしてくれたベリーのために、春江はバイオリンを弾いた。
 セレナーデは、内なる情熱を優しく訴える甘美な旋律である。これまで支えてくれた多くの愛するものためにも渾身の力を込めて演奏した。
 その気持ちは確実にメロディに乗って、その場にいる者全てに染み渡った。
 いつしか怒号が消え、静まりかえった。春江の演奏はおそらく最後になるだろう。春江の愛にふれるのも最後になるだろう。一同、地獄に堕ちる間際まで、変わらずに音楽で愛を捧げる春江に涙した。
 その場にいた天使も同じであった。春江の壮絶な生き方に圧倒されながら、それでも生き方を貫く姿に、ただ跪き、体を震わせた。
 セレナーデは元々歌曲である。春江は、バイオリンだけで演奏を完結させようとしたが、その場にいた天使は鼻歌のように歌い始めた。それが次第に、大きな歌声へと発展していった。

「ひめやかに闇をぬう
 わがしらべ
 静けさは果てもなし
 こよや君……」

 歌声は、他の天使へと広がっていき、大合唱になった。地獄に行く春江のはなむけであろうか。人間、しかも地獄に堕ちる罪人が演奏する曲を天使が歌うという前代未聞な風景が繰り広げられていた。
「罪人の所業に同調するとは天使にあるまじき行為ではないか!」
 ジョンは天使として当然のことを言った。しかし、セレナーデを歌い、春江を味方した天使の内の一人が毅然として言い放った。
「罪人が演奏する曲に乗って歌ってはいけないという法的根拠はどこにある? 更に言えば、天使訓にもそのような記述はどのにもないぞ。汝が私を縛る権利はない」
 そう言われると何も反論できない。その思いから口を閉じていると、別の天使が追従してジョンに語りかける。
「春江さんは、地獄の業火に包まれてもなお、我々のために演奏する。地獄に堕ちる原因をつくった汝に対してもである。全てのものに愛を注ごうとする春江さんのために、せめて歌を歌いたいという気持ちを否定することが汝にできるのか?」
 ジョンにとっては、罪人を断罪するという当たり前のことをしたまでである。しかし、春江を断罪するのが果たして正しかったのかと思わずにはいられなかった。
 苦悩のジョンをよそに、演奏を続ける春江。最後の演奏はまだ始まったばかりである。
 丁度その頃、仁木の側に静かに忍び寄る影があった。
「おやおや、仁木君久しぶりだねぇ。どうしたんだ? そんなに悲しんで」