天上万華鏡 ~現世編~
「誘惑の術だと? ふははは! そういう認識しかもてないんだろうな」
ベリーは高らかに笑っているが、他のものは無言でうなだれてしまった。特に仁木は、事の重大さが十分に分かったようである。局
長の名で発令される命令は天使数百名規模のものである。それら全てが春江を拘束するために組織だって動くのである。いくらベリーが春江のサポートをするとはいえ、望ましい形になるには現実的に無理があると思ったのである。
春江もまた、無言で俯いていた。しかし、それは自分の置かれている境遇を悲観しているからではない。自分のために処罰が与えられる結界官。自分のために罪を背負ったベリー。自分のために地獄に堕ちた笠木達。そして自分のために自ら地獄に堕ちたロン。全て自分のせいで起きたこと。
人のために犠牲になることはいとわない春江だったが、自分のために誰かが犠牲になることは耐えられない苦痛だった。
様々な思いが交錯する中、ベリーがその均衡を破った。
「思い悩んでいる余裕はないのではないか? 仁木君よ。我々はもうやるしかないんだよ。春江さんを生かすために我々にできることをやるしかないんだよ」
――――その通りだ。
仁木はもやもやとしたものが晴れていくのを感じた。仁木は初めから、春江と運命を共にする覚悟だったのだ。それが最悪な形であっても、予定は何も変わらない。
「私は春江さんを連れて逃亡する。君はここで待ち給え」
「いえ、私もご一緒します。最後まで……」
「気持ちは分かるがここは引き給え。君まで来たら、罪人隠匿で君まで罪を背負うことになる」
「それくらい……」
「そうではない。私にもしもの事があった時は君が春江さんを守らなくてはならないだろ? その前に君が捕まったらどうしようもないではないか。本当に春江さんを守るその時まで君は潔白でなけらばならない」
「…………分かりました」
皆、身を削ってその覚悟を示した。しかし、自分だけ安定した場所に立っている。ベリーの言うことは理解できる。しかし、春江のために魂を賭ける時はやってくるのか不安になった。
「春江さん行きましょう」
ベリーは龍の姿に形を変え、その背に乗るように促した。春江は小さくうなずくとゆっくりまたがった。
「それじゃあ行きますよ」
と言うと、天高く飛び立っていった。その様子を見た異形なる者達は口々に感嘆の声を漏らす。
「菩薩様が天翔る龍と共に空を舞う……何とも神々しい……」
――――ベリー様……春江を宜しくお願いします……
小さくなったベリーと春江を眺めながらつぶやく仁木だった。
ベリーと春江は遙か上空を滑走していた。遠くから李が上空に映し出したエンジェルビジョンの音声が聞こえてきた。
「資源エネルギー局第二十三管区結界事務所所長、聖徳太子の名において各地区主任結界官に命ず。α5結界により、都道府県境を封鎖せよ。只今より五分以内に完了すべし」
「五分以内に動けなくなります。急ぎましょう」
「どこに行くんですか?」
「木星です。そこまで行けば、大丈夫です」
「木星!」
春江は突拍子ない言葉に絶句した。木星の存在は知っていた。だが遠い別世界のことだと思っていた。いくら霊になったからといって、そんなところに行けるとはベリーの口から出た言葉だとしても信じられなかった。
「行けるんですか?」
「あるところまで行けば大丈夫でしょう。天使転送装置を使うことができれば楽なんですけどね……」
「天使転送装置?」
「春江さんも見たことあるでしょ?天使が登場する時のアレです」
「ああ……」
春江は天使たちが登場する際の六芒星を思いだした。
「春江さん……ご覧ください」
ベリーが示した先には天使がいて、何やら作業をしていた。
「この天使が、さっき事務所長が言っていた主任結界官です。あと少しで脱出不可能な結界がはられることになるんですね。あの令が正しければ第二十三管区のみの封鎖……第二十三管区を抜ければ楽になります」
「さっきから仰っている第二十三管区ってどれほどの範囲なんですか?」
「日本全体と朝鮮半島にあたります」
「え? そんなに広いんですか?」
春江はもっと狭い範囲だと思っていた。日本全体が封鎖されるような大きな規模だとは思わなかった。
そう思いを巡らせている間に、本州を北上し、日本海に到達した。
「春江さん見えますか?あれがユーラシア大陸……つまりロシアです。二十一管区……封鎖から脱出です」
春江とベリーはホッと胸をなで下ろした。しかし喜びも束の間
「α5結界完了! 次いでベリー・コロンの捕捉成功!」
目の前に巨大な壁がそびえ立ち、行く手を阻んだ。壁の前で立ち往生する二人。これで打つ手なしに見えた。
すると背後から、どこかで聞いたことがある声がする。
「ふーむ。ご苦労さん。いやーやっと捕捉ですか。時間かかりましたな」
「聖徳太子……」
エンジェルビジョンでα5結界の令を発令した結界事務所所長、聖徳太子だった。
聖徳太子は純日本人の顔立ちをしていた。がっちりとした体型で、言い伝えられている歴史上の人物とは違っていた。どうやら「聖徳太子」というのは称号のようである。
「龍神さん……また派手にやってくれましたなぁ。おかげで我々は随分搾られましたわ」
「…………」
「もう観念してくださいな。私が直々に出向いているんよ。私の顔に免じてどうか」
ベリーは近くの島に降り立つと、龍の姿を解き、天使の姿になった。
「ありがとな。これで騒動も終わりってか?」
ホッとして歩み寄る聖徳太子だったが、ベリーはうっすら笑みを浮かべている。
「もうすぐ総務課長が天使更迭の令を下しに来る。それまで大人しく待機な」
「誰が観念すると言ったか? 聖徳太子」
ベリーと春江の足下に大きな六芒星が光り輝いた。それが音を立てて回りだした。そう、地面に降り立ったのは天使転送装置を使うためだったのである。一度転送が始まると、天使であってもそれを阻止することができない仕組みになっている。悔しさをにじませる聖徳太子。一方ベリーは勝ち誇った笑顔で聖徳太子を見下ろした。
「これで第二十三管区を抜けることができる。残念だったな。君は私を拘束できない」
空間の切れ目に体をくぐらせた。春江はどこにつながっているのか皆目見当つかなかったが、その真相は、想像を遙かに超えていた。
「ここは……どこ……ですか?」
漆黒の空。そして荒涼とした白い大地。空に輝く青い星。石畳と古代ギリシャを彷彿とさせる神殿のような建物。異世界に迷い込んだ気分になった。
「月です」
「お月様?」
「そしてあれが地球です」
青い星は地球であった。春江は呆然としながら地球を眺め、身動き出来ないほど混乱した。
「もうほぼ逃亡成功したとみていいですよ。でも油断は禁物。木星を目指しましょう」
月に行けるぐらいだから木星行きも現実的になった。今になって春江は、ベリーの言っていることを理解できた。でも、どうやって木星に行くのか疑問に思った。
「月に来たの初めてですか? そりゃそうか……だったら暫く歩いてみますか?」
春江は首を縦に振り、最大級の好奇心でもって周りを眺めた。ベリーはその光景を微笑ましく眺めながら、ゆっくり歩いた。
作品名:天上万華鏡 ~現世編~ 作家名:仁科 カンヂ