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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~現世編~

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 春江だったらどうにかなると思っていた仁木は、自分の考えが甘かったと痛感した。仁木自身、千回詣の試練を受けたことがなかった。それのため、激痛を伴う苦行だと分かっていても、それは評判や噂話を聞いていただけに過ぎず、実際にどの程度のものなのか分からずにいた。春江の様子を見ただけで、その困難さを直感できた。
 春江には芯がある。強い意志がある。この事実だけをもって、この試練を乗り越えることができるだろうと判断する根拠にしていた。それだけでは越えられない試練だったのである。
 自殺者に救いはないのか……それほど自殺は罪深い者なのか……そう思わせる程の絶望に襲われる仁木だった。
 しかし、絶望に浸る余裕はなかった。目の前にいる春江を守らなくてはならない。意識を失っている間、異形なるものがつけ込み、融合などをしようとするかもしれない。とにかく春江を守ることを優先しようと決意した。
 狛犬の前で倒れ込む春江を見守り一週間。その間、この神社を参拝する者は誰ひとりいなかった。生きている人間はおろか、千回詣をしようとする自殺者さえ現れない。
 それだけ千回詣を志すものは少ないのだろうか。それとも、千回詣の存在を知るものが少ないのだろうか。いずれにしても、春江は普通の自殺者がやらない挑戦をしたのである。
 しかし、挑戦したけど、成功しなかった。仁木は、それでは全く挑戦していないのと同じだと冷静に考えていた。
 辛い思いだけさせて、結局は何も春江のためになるものはなかった。それが仁木の大きな後悔だった。
 春江が目覚めた後、どう声をかけようか。また千回詣を勧めるか否か。春江の負った傷を考えれば安易に結論を出すことができなかった。
 思案に暮れて更に1週間。ようやく春江は目を覚ました。
「あ……う……あ……」
 目覚めた春江は、千回詣の激痛からか、弱々しくうめくことしかできなかった。目を開いて、まずその瞳に飛び込んだのは、目の前で腕を組み、春江を見下ろす仁木だった。
「きゃーー!」
 仁木の目が、春江を嘲笑した天使の冷たい瞳、狛犬が変化した少女達の目と重なった。それ程、春江にとっ千回詣は恐怖を刻むものだったのである。仁木は怯える春江を心配し、春江の名前を呟くしかなかった。
「春江さん……」
 仁木は心配のあまり春江の肩に手を置こうとした。しかし春江は、即座にその手を振り払い、怒りにも似た表情で叫ぶ。
「さわらないで!」
 仁木は驚きの眼で春江を見つめた。自分に対して怯えていること。そして敵意を向けられていること。それが仁木には理解できなかったからである。
 仁木は、再度春江のそばに歩み寄り言葉をかけようとした。すると春江は体中を震わせながら後ずさりをした。
「春江さん……」
 春江は返答しなかった。意識はあるが、表情がなく、口はだらしなく開き、目は焦点が合わずどこを見ているのか分からない。まるで、町中を彷徨っている異形なる者そのものであった。
 仁木は、春江の精神が崩壊しているのではないかと心配したが、危機感をあらわにして詰め寄っても逆効果である。
「春江さん!」
 仁木は、春江の名前を叫ぶしかなかった。しかし一向に反応しない春江に仁木は焦りを覚えてきた。
「庄次郎さんが今のあなたを見てどう思うのでしょうか? そんな情けない姿見せられますか?」
 打つ手を失った仁木が苦肉の策の末に出てきた言葉だった。思いの外と言うべきか、予想通りと言うべきか、春江はカッと目を見開き、眩い眼光で仁木を見つめた。
「仁木さん……」
 しかし、元の春江に戻ったわけではなかった。端然とした春江に戻りつつも、一方では今にも崩れそうな危うさがあった。春江は植え付けられた恐怖にぎりぎりのところで耐え、踏ん張っていたのである。この踏ん張りが今の春江を支えていた。庄次郎に対する愛。春江に残されたよりどころは最早そこにしかなかったのである。
「春江さん……千回詣は辛かったですか?」
 春江は、言葉を口にしようとするが、なかなか出てこない。その代わりに涙が止めどもなく流れてきた。
「辛い思いをされたんですね?」
 春江は力なく頷いた。
 仁木は自分の辛さを分かってくれた。その思いが春江の痛みを包み込んだ。しかし、その後に発せられた仁木の言葉は、春江の思いとは真逆のものだった。
「でも……もう一度挑戦しましょう」
「え……?」
「もう一度挑戦しましょう」
 春江は仁木が何を言っているのか理解できなかった。このタイミングで発せられるはずのない言葉だと思っていたからである。
 あれだけ辛い思いをしたのだ。あれだけ自分は頑張ったのだ。常識を遙かに超えるものだったのだ。だから、もうやらなくてもよい。
 この結論が当たり前のように頭の中で出来上がっていたのである。
 なのに、仁木は更なる挑戦を求めている。春江の思考は停止し、呆然と仁木を見つめた。
 そうなることを仁木は分かっていた。分かった上で言ったのであった。そして、更に言葉を続けた。
「もう一度挑戦すれば成功するかもしれません」
「どうしてそんなことを言われるんですか? 私がどんな目にあったのか仁木さんだったらご存じでしょ?」
 仁木はゆっくりと頷きながら言葉を続ける。
「はい。身を焼かれ、裂かれ激痛の中、歩き続けたんでしょ?」
「その通りです! あんな酷い目にあったのは初めてです! 体を自分から切り刻むんですよ? 痛みがずっと消えないんですよ? 体中が熱くて……潰されそうになって……息もできないんですよ?」
「もう一度、挑戦しましょう」
「……仁木さん? どうして、そんな目にまたあわせようと言われるんですか?」
「もう一度、挑戦しましょう」
「もううんざりです!」
 春江は憤然としながら、仁木に背を向け去ろうとした。
「仁木さん……今までありがとうございました。もう仁木さんについていけません」
 仁木は春江に歩み寄り、肩に手を置き、引き留めようとした。
「春江さん……」
「ごめんなさい……もう耐えられません。あんな目にあいたくないんです……」
 春江は仁木の手を振り払い、駆け出していった。仁木はそれをじっと見つめている。
 春江の姿を見て、千回詣が想像を絶する試練だということを眼前にした仁木であった。しかし、それでもなお千回詣を勧めた。何故なら千回詣しか春江を救う術がないからである。
 もし、千回詣を諦めたら、死にながらにして現世という監獄に、閉じこめられるしかなくなるのである。異形に墜ち、現世に留まる恐怖や虚しさを紛らわせるしかないのである。永遠に救われない。それが自殺者への断罪なのである。それ程、罪が重いのである。
 千回詣を諦めれば、今のこの瞬間はやり過ごすことができるかもしれない。苦痛から逃げることができるだろう。しかし、諦めるということは、永遠に続く罰を受け続けることを指す。
 現世という監獄に留まるべきではない。もっと広い世界で活躍するべきだと確信してやまない仁木にとって、春江に対する説得は、大きな意味のあることだった。そのため、春江の痛みを分かりながらも断腸の思いで、再度千回詣を勧めたのである。
 とは言うものの、駆け出している春江を振り向かせるための言葉が浮かばずにいた。