天上万華鏡 ~現世編~
願い虚しく、春江は吸い寄せられ、浜辺の奥にある防砂林目がけて吸い寄せられていった。仁木は全速力で春江が吸い寄せられている先まで駆けていき、途中から空を走るように飛んでいった。それでも追いつかない。
「くっ……思いの強さが強すぎるのか……」
死後の体である幽体では思いの強さがエネルギーの強さになる。春江を引き寄せる力が強いということは、引き寄せている存在が、それだけ春江を強く引き寄せたいと思っているということである。何の目的で引き寄せているのか、仁木は薄々感づいていた。
その頃春江は、凄い勢いで引き寄せられる状態に身を任せるしかなかった。しかしどこに向かっているのか分からず不安になった春江は、進行方向に目を向けた。
その先には先程の子供が座っていた。よく見ると、同じ顔した子供が合わせて十人いた。
子供達に猛烈な速さで近づいている。もう間近だ。凄い勢いでぶつかろうとしていた。しかし、子供達は一切身じろぎしようとしなかった。
春江は衝突の恐怖から目を閉じ、頭を抑えた。
激しく衝突したはずなのに、衝撃は全くなかった。気付くと真っ暗な空間にいた。
その空間に十人の子ども達の顔が浮かんだ。その顔は子供の顔からみすぼらしく生気のない中年の男に姿を変えた。
それらの顔が春江を取り囲み、呪いの言葉を吐きかける。
「どうせ頑張ったって成仏できないんだよ」
「なのにどうして人を助けるの? 自分は助からないのに」
「偽善者! 自己満足だろ?」
「成仏できない虚しさを忘れようとしているんだろ?」
十人のそれぞれが春江に語りかける。矢継ぎ早に投げかけられる言葉に春江は困惑した。しかし、その言葉の内容には納得いかないものが多く、春江は毅然と反論した。
「いいえ! 私は成仏します! 絶対に!」
「できるわけないだろ? お前無知だな」
「馬鹿だな」
「できます! できる方法があるって聞きました!」
「それは気休めだよ。お前が墜ちないようにするために」
春江はこの言葉を聞いて、もしかしたらそうかもしれないと思ってしまった。嘘も方便。真っ先にこの言葉が浮かんだ。
「嘘よ……」
「お前があれだけ人を救っても、お前自身は救われない。あそこまでやったら成仏してもいいはずじゃないか」
「そうだ。そうだ。あんな奇跡をやってのけても、神はお前を見捨てたままだ」
またもや春江の心を突き抜けた。成仏の手伝いをしても、自分はこのまま。仁木が驚くほどのことをしても自分は救われない。神は自分を見捨てたのか……またしても神へ疑念を抱いてしまう。
「そうだ。それでいい。全てを投げろ。何もかもが無駄なことなんだ。動きを止めて全てから逃げよう……」
春江は力なくうなだれ、ゆっくりと頷いた。
仁木はやっと春江がいる場所に到達した。予想通り、異形なる者達が融合を開始した。その中に春江もいる。春江は融合しながらうつろな表情で俯いている。
「春江さん!」
仁木が叫ぶ。
「…………」
春江は反応しない。
「あなたはこんなところで立ち止まっては駄目だ!」
春江はゆっくり顔を上げ、呟いた。
「頑張ったって……どうせ無駄じゃないですか……」
「無駄じゃないんだ! 成仏する方法があると言っているじゃないですか!」
春江と仁木がやりとりしている間、春江と一緒に融合している男達は、変化を繰り返し、人としての形がなくなってきた。それでも春江は仁木と会話して自我を保っているため、融合の変化は最低限で食い止められた。仁木はそのことを知っていた。だからこそ、春江に話しかけているのである。
「嘘よ! そんな都合のいいことがある訳ないじゃない!」
「私がこれまでに嘘つきましたか? 都合の悪いことまでも包み隠さず話しているじゃないですか」
「……そうですね。そうですけど……」
明らかに春江は動揺している。仁木はこの隙を見逃さなかった。
「よし、今だ!」
仁木は剣を抜き、春江とそうでないものの境目に飛び乗り、一刀両断した。するとすかさず融合している男達から大きな腕が生えてきて、春江をつかもうとする。
「しつこい!」
仁木はそう叫ぶとその腕ごと切り落とした。
「うぎゃぁぁぁ!」
融合している男達は苦悶の表情でのたうち回った。仁木は春江を抱き寄せ、男達に向けて剣を構えながら言い放つ。
「また巻き込むようであったら斬る! 早々に立ち去れい!」
「うぉぉぉびじょ……うおみじゃぶざろろじゅび……」
奇怪な声をあげているが、明らかに怯えていた。その様子を見た春江は仁木の前に立ち、男達をかばった。
「仁木さん。この人達は可哀想な人たちなんです。傷つけないでください」
「春江さん。斬らないとあなたは異形に墜ちるんですよ」
「……それは分かっています。でも、もういいでしょ?」
仁木はしばらく考え、ため息をついた後、ゆっくりと剣を鞘に収めた。
「春江さん。行きましょう」
仁木はくるりと身を翻し、男達を後にした。春江は、心配そうに男達を見つめながら、仁木の後を追って去っていく。
仁木は無言で黙々と歩いた。明らかに不機嫌な表情を浮かべている。それを察してか春江も仁木を気にしながらも無言でついていった。海岸に到着すると仁木は流木に座り、春江にも座るように促した。
「春江さん。危なかったんですよ。分かっていますか?」
「分かっています……」
「いいえ、分かっていません。一度異形に墜ちたら元に戻らないんですよ。特に、他の者と融合してしまったら、互いに引き寄せ合う力が働いて離れなくなるんです」
「……はい……」
「あと一歩でそうなるところだったんですよ」
「ごめんなさい……」
「融合してしまったことは仕方ないかもしれません。気をつけても吸い寄せられることはあるでしょう」
「…………」
「ですが、どうしてあの者達をかばうんですか? あなたを陥れようとした輩ですよ?」
「だけど、可哀想じゃないですか」
「私には分からない。あの者達を斬らなければ、あなたは助からなかった」
「私のために他の人を犠牲にすることなんかできません!」
そう言う春江の眼光は鋭かった。春江は通常、気が弱い性格でありながらも、誰にも譲れない信念がある。その信念を貫く時は何人たりとも侵せない強さがあらわになる。それが今であった。
「異形に墜ちてもよかったんですか?」
仁木は信じられないといった表情で春江を見つめる。しかし春江は当然のように言い放った。
「他の人を傷つけるぐらいなら、そうなった方がましです」
仁木は春江の揺るぎない瞳を凝視できなかった。それほど強い意志が宿っていたのである。
「……どうしてこんな方が、こんな場所にいるのだ……」
「え?」
「自殺する人の多くが、自分の都合で自殺します。周りの人がどれだけ悲しむのか分かっていながらも自分の都合で自殺します。そのくせ自分の境遇を呪い、全ては他の奴らが悪いんだと人のせいにします。私を含めてですが……」
「そんな……」
「あなたのような自己を犠牲にして、他人を愛する……そんなあなたはこんな荒んだ場所にいるべきではありません」
「でも自殺してしまったから……しょうがないじゃないですか……」
「だから言ったでしょ? 成仏する方法があると」
作品名:天上万華鏡 ~現世編~ 作家名:仁科 カンヂ