郊外物語
そのまま大宮まで行き、さらに岩槻のインターチェンジから東北自動車道に乗り、北上しました。車中では、二人ともほとんど無言で、カーラジオに耳を傾けていました。玉川上水でのことは、報じられませんでした。今日に至るまで、あのことは表ざたにはなっていません。あの二人が死んだのかどうかもわかりません。お父さまは御存知だと思います……。宇都宮でいったん高速を降りて、給油と食事をし、さらに仙台まで逃げました。昼の十二時過ぎに着きました。
私はその日の明け方、テレビ局に、一身上の都合により社友の地位を返上したいとメールを送っておきました。仙台に着いたときに電話をかけると、ニ年間の休職扱いにする、事情の詳細をお知らせ願う、と人事部の部長がすぐに代わって訊ねてきましたが、追って事情報告を書面でお送りするとだけ伝えて切りました。結局私は手紙を出しませんでした。二年後に泣きつく羽目になるのですが。