郊外物語
。私は助手席に倒れこみました。腰が抜けてしまいました。ドアにしがみつきました。男が達郎を突いていきます。男の斜め後ろから私は、その肩と体の左右に突き出る肘のうごきを凝視しました。男は、いかにも喧嘩慣れしていて、右体側にドスを構えたときには一直線に突き出し、左体側に構えたときは、シュートがかかったように弧を描いて突いていきます。いずれも達郎の心臓をねらっていました。達郎は左手をポケットから抜いて、肘を相手に向け、肘から先を直角に曲げて、上腕を軸にして右に左に回転させながら、突き出てくるドスを払います。しかし、払うことは出来ても、少しずつ刃の接触によって袖が切れてきて、ところどころに血がにじんできました。達郎が急に座り込みました。私は突かれて倒れたかと思って心臓が止まりそうになりました。そうではなかった。達郎は右手をポケットから出しました。ジャンピングナイフを握りしめています。それで相手のわき腹をすばやく小刻みに数回突きました。傷口をぎざぎざにしてふさがらなくするためです。相手は、突っ立ったまま、呆然と傷口を見下ろしました。すると、達郎は、ナイフの刃を上向きにして深く刺し通すと立ちあがりました。相手は、達郎にしがみつくように崩れ落ちていきますから、傷口は長く上へと延びることになります。達郎はナイフだけで相手を支えて、身体を入れ替えると、欄干に押しつけ、左手で肩を突き飛ばしました。男は仰向けになって川に落ちていきました。水音が聞こえ、水の跳ねが欄干の足元にかすかについて雨滴に混じりました。さっきから運転席のドアをたたく音がしていました。スポーツ刈りの若い男がわめいています。私は、やっとその時、その言葉の内容が頭に入るようになりました。ヒロシです、お嬢さん、わかりますか? ヒロシです。お嬢さん、車をまわして、五日市街道に出てください。右折してすぐのファミレスで待機していてください。ここにいないでください。ヒロシという男の子は、私が寮から、今のマンションに移転するときに手伝いに来てくれた国分寺一家の三下です。女の子を含めて仲間を何人か連れてキャンパスにはいってきたので、周囲の顰蹙を買いました。全部自分らがやるから、お嬢さんは、映画でも見に行っててくれと、言ったものでした。移転後に驚いたことには、汚れたり壊れかけたりした器具や電気製品が新品に取り替えてありました。移転のときだけ