郊外物語
西武立川駅を左に見ながら、西武新宿線を渡りました。ゴルフ場の脇に沿って昭島に抜けようとしていると、前から赤いクーペがやってきてこちらの車線に突っ込んできました。私達は、玉川上水にかかる橋の上で挟み撃ちになってしまいました。私は全身が震え始めました。一度止めたエンジンをスタートさせようとしましたが、すぐにエンスト。私は恐怖に駆られて、左右を見まわしました。こんなときなのに、私の目に、この世のものとは思われない美しい光景が映りました。ほぼ満開の桜が、上水の両岸から河の中央に向かって天蓋のように覆いかぶさり、闇に向かう花のトンネルを橋の左右に作っていました。橋の両端に立っている街灯の光にきらめきながら、雨の重みで花弁が垂直に落下していきます。上流にあるたくさんの桜の木から落下した花びらは、水かさの増した川の幅いっぱいに絨毯となって広がり、一目散に下流へ急いでいました。しかし見とれている暇はありません。達郎は、クーペが邪魔をしたときに、うーんといったまま、あとは前を向いて黙っています。私はその横顔を見てぞっとしました。青、というよりは緑色に皮膚が変色しています。その後何度も経験したことですが、達郎は頭にくると全身がアドレナリンの過剰分泌でカメレオンのように緑色になるのです。後ろの車から、ダスターコート姿のマスクをした男が降りて、こちらにやってきました。助手席側に立って、達郎に降りろと、指先だけで合図しました。達郎がじっとしていると、車に一歩近づいて足でドアを蹴りました。再びもとの位置に戻ります。達郎がまだ黙っていると、またドアを蹴ろうと近づいてきました。その時達郎がドアを急に開けました。ドアがカウンターパンチになって、男の向うずねを打ちました。男は低く唸って、二,三歩たたらを踏みましたが立ち直ります。達郎はもう外に出ていて、ジャケットの上着のポケットに両手を突っ込んで立っていました。桜の花が雨に打たれて、耐え切れずに次から次へと落ちてきます。達郎の頭や肩に、しお垂れた花弁がひとつ二つと張り付いていきます。街灯の白い光に照らされて、達郎の顔はブロンズ像のように凄愴です。私は、止めての一言も出ず、体を動かすことも出来ません。二人は何か小声で言い争っていましたが、男がコートから短刀を出し、鞘を払って身構えると、達郎は跳び退いて、クーペに背を向けないように橋の欄干を背にしました