郊外物語
国分寺のおじ様とお父さまの交友は、お二人が二十歳前のころから続いていながら、秘密にされていました。飯田では、亡くなったお母さまと私しか知りません。なにせおじざまは、江戸時代からつづく関東一のヤクザ組織の大親分ですから、根っからのかたぎで多くの社会的に責任のある地位についていらっしゃるお父さまにとって、二人の関係が表ざたになるのは不都合だったのでしたね。おじ様もそうしてくれとお父さまに頼むほどでした。しかし、二人は仲がよかったわ。若いころ、亡くなったお母さまを、奪い合ったそうですね。おじ様は、自宅の庭に大きな檻を作って、白いメスライオンを飼ってらしたけど、そのライオンの名前が、亡くなったお母様と同じ絵美、でしたよね。おじ様が死にそうな目にあった時に、お父さまにかくまってもらい、看病してもらったとは、おじ様の口から聞いています。あのこめかみから顎にかけてのおじ様の刀傷は、その時のものなんでしょう? 私が中二になってはじめておじ様に会った時、ああ、あのときの赤さんが、こんなに大きくなったのかい、と涙を流してらっしゃったわ。おじ様、赤ちゃんでなく赤さんとおっしゃった。私が生まれた時に産院でお父さまと一緒に私を見たらしい。物柔らかでやさしい、外国人みたいな風貌の紳士でした。お父さまはおじ様に、娘がかどわかされた。なんとしてでも見つけ出し、誘拐者から引き離したい、と相談なさった。それからは追いかけっこが始まりました。その追跡劇は、発端にひどい事件がおきましたので、壮絶なものになりました。私たちが婚姻届を出してから三日目にお父さまから長文の怒りの電報が届き、その日のうちにお父さまは警察と掛けあい、四日目におじ様に相談し、これから上京するという第二の電報が届いたのでしたから、事件が起きたのは、結婚後六日目から七日目にかけてということになります。