郊外物語
「須坂の新庄さん?」と男のひとりがこたえた瞬間、隣りの大柄の男にこめかみを殴られました。殴った男は、私を見ながら「ほんまかいな。あんた、どこんひとや?」と偽大阪弁で訊いてきました。三番目の男が立ち上がって車道のほうから私の背後に回ります。女の子二人は、あからさまに不信感と好奇心を見せつけながらひそひそ耳打ちしあっていました。私は立ち上がって逃げかけました。大柄の男が後ろでダミ声を上げました、「お前、妙なことせんといたほうがええで。顔は覚えたからのう」 私は長野駅の駅前の交番まで小走りに急ぎました。幸い彼らは後を追ってきませんでした。
私は翌日の午前、長野駅から、長野電鉄の三両連結の電車に乗って、須坂に向かいました。まったく前日と異なる服装でした。須坂では、達郎の悪がきぶりは有名だったので、出身中学はすぐわかりました。須坂第二中学を訪れました。夏休み中なので宿直の先生が二人いらっしゃっただけです。私が新庄の名を口にすると二人ともぎくりとなさいました。そのうちのひとりは新庄が二年生のときの担任の方でした。卒業写真を見ると、右上に楕円形の枠で切りとった、丸坊主の達郎の写真が貼り付けてありました。担任は、私が達郎の住所をメモするのに抗議しました。個人情報の漏洩になる、などと主張しました。どういう生徒でしたか,私は従姉妹ですので、ある程度は知っていますが、と言いながら私は苦笑したものでした。私が二年生の時までいた女子大の寮に、よく男子学生が呼び出しに来ました。門衛のおじさんには、従兄弟だ、と言うやつが多かった。おじさんは、男子学生に、みんなそういう、とため息をつきながら追っ払っていました。元担任の教師は、いかにも含むところがあるといった憂鬱な表情をし続け、達郎の過去の行状について一切白状しませんでした。何度も嘲られたり殴られたりしたのでしょう。