郊外物語
真紗子はこのキッチンに入るたびに、いまだに、安堵感を覚え、うれしさがこみ上げてくる。よくぞここまで来た、と思う。結婚後、一年近く住んでいた夫の義人の実家では、こんな気持ちは一度も味わえなかった。姑の民代と義人の弟の妻の蘭子がいたからだ。台所の権利は、三分の一ずつとはとてもいかなかった。民代が女帝のように君臨していた。蘭子は、素直で取り入るのが上手な、民代に仕える女茶坊主だった。真砂子は二人に命令されるだけの使い走りかごみ捨て係に過ぎなかった。家庭内のいじめは、女たちだけの集会所である台所ではことさらひどかった。真砂子は、持ち前の忍耐心を発揮して耐えた。今に見ておれ、そのうち私が実権を握ってやる。真砂子は、屈辱に耐えながら、何度も決意を繰り返したものだった。転居を提案してくれた義人に、真砂子は心から感謝した。幾年続くかわからない消耗闘争を覚悟していた真砂子に、そんな無駄なエネルギーを使うことはない、あっさり引き下がればいいだけだ、と言ってくれたのだった。住み慣れた家を捨て、溺愛してくれる母親を捨て、未知の土地に赴く決意をしてくれた。真砂子は感動した。なんと優しい男だろう、私の目に狂いはなかった。真砂子を嫌う民代は、義人が今後も金銭的に世田谷を援助するのを条件に、ついてくるのを止した。ああ、自分ひとりだけの厨房、いや工房、自在に腕を奮えるだけふるえる場が、手の内にある喜び。しかし、この喜びを自己満足に収束させてはならないと真砂子は自戒していた。義人と二人の子供たちに、自分の精魂を込めた食事を与えることができるからこそ喜ばしいのだ。彼らが、おいしいね、と言ってくれること、健康を保ってくれること、特に子供たちがすくすくと成長してくれることが、真砂子の喜びだった。
豚肉料理は圧力鍋の中で、パンはパン焼き器の中で、サケの蒸し焼きはオーブンの中で、すでに出来上がっていた。何度かの経験から、新庄夫婦は、沖縄料理をさほど好まないのがわかっていた。義人も子供たちも、今では沖縄料理が大好きだが、最初は、チャンプルーから逃げまわっていた。真砂子の工夫と忍耐の結果、彼ら三人の味覚が変わった。真砂子は小さな勝利を積み重ねていく。