郊外物語
真砂子は危うく涙が出そうになった。子供たちの愛と信頼に感謝感激したからではない。目の前にある英文をまったく読み取れず、情けなくて泣きそうになったからだった。真砂子は何とか薄ら笑いをでっち上げて「ひゃーっ、とてもわかんないわ。なにせもう二十年も前のことだから」とおどけてみせた。察しのいいデボラは、つくづくすまなかった、という表情を浮かべながら、ゆっくりと作文の内容を和訳していった。真砂子は上の空だ。刺激された劣等感は、なだめようがなかった。実はこっそり英語の勉強をしてきた。看護婦時代、薬品や医療器具や処置法などたくさんの英単語を覚えなければならなかった。アルファベットを書き写し、振り仮名をふって必死で覚えた。看護婦はカルテを見る必要はないし、見るとひどく怒る医者もいるが、緊急の場合、見ざるをえないときがある。代わりに見てもらう同僚を血眼で捜したものだった。テレビやパソコンを利用したし、会話学校や予備校にも通ったが、どういうわけか体が英語を受け付けない。そのくせ、ちぇっ、と言う代わりに、ファック、と口をついて出てきて、思わずあたりを見回したりする。現在、火、木、土の三日だけ、市立病院で十時から五時まで働いている。お金はいくら貯めておいても貯めすぎということはないからだ。婦長、現在の師長待遇である。しかし、ここでも英語が出来ないので馬鹿にされている。英語だけが出来ないのであって、看護師としては誰にも負けない、とアピールしたくてついついがんばりすぎてしまう。だからいつも過労気味で、家でこっそり英語の勉強を始めるとたちまちうたた寝を始めてしまうのだ。