郊外物語
ベッドの下を掃除していたときだった。義人がドイツから取り寄せた、ケーニッヒ何とかの足高ベッド。さっきまで真砂子が眠っていたベッド、そしてこれまで五年間、一万五千時間ほどずっと真砂子が義人といっしょに眠ってきたベッド、その下に携帯電話が落ちていた。
義人は、ドイツ語圏の人間が大好きだった。ドイツ語が好きだし、ドイツの哲学が好きだし、ドイツの機械が好きだし、ドイツの黒い森とその狭間に流れる小川が好きだった。そこで跳ねているヤマメを釣るのが好きだった。英語よりドイツ語のほうができる。なにせ、ドイツ語の方言を何通りかしゃべれるんだから。カルテをいまどきドイツ語で書いてんだから。あんなにまずいドイツ料理が好きだという。それを肴に飲むドイツビールを自分のペニスのように愛している。絶大の信頼を置いている。信仰している。ドイツビールのプールでここ二十年間泳いできたのも仕方あるまい。ピルゼンビールもお気に入り。アルトハイデルベルヒまがいの学生気分が好きで好きで。ドイツやオーストリアのビールプールで、泳ぐだけではなく、溺れることも多々あったろう。真砂子はその仔細は聞いていない。そもそも真砂子は外国に連れて行ってもらったことがなかった。「言葉ができなくても大丈夫だ,通訳を雇うなんて,学生アルバイトだったら,安いもんだ,僕がいなくても好きなところにいけるよ」と義人は言ってくれるが、さて,好きなところがどこかわからない。地球の歩き方ドイツ編という本を見て、いくつかの記事に丸をつけておいたけれど、義人は、首をかしげていたっけ。
ケーニッヒ何とかの下の異物。しかし、よく見ると、普段義人が持っている携帯で、今日も、寝ぼけまなこの真砂子の前で、行ってくるからね、と告げた義人の着ているポロシャツの胸ポケットに差し込んであった。えっ?
真砂子はあわてて、ベッドの下に仰向けの姿勢ですべり込む。車検をやってくれた立花モータースのお兄さんみたいだ。