郊外物語
テーブルを普段の位置まで引き出すと、リモコンのスィッチを押す。第五話。何度見ても、俳優の名前が覚えられない。こちらの記憶力の問題ではなく、俳優たちの存在感の薄さのせいだ、と真砂子は心の中で主張した。東京からは新幹線の旅、京都での夜の冒険、山陰へ、舞鶴、城之崎、大山、そして、出雲大社。突き落とし。身体が半転。ベンチにでも坐るように腰を落とすけれど、その下には何もない。一瞬止まってから、ゆっくり下降をはじめる。ふと消えてしまう。この、消えてしまう感じには覚えがある。どこかで実際に見たことがなかったっけ? だれかが落っこちたんだっけ? その後の手足のうごめき。じたばた。これは実際に見たことはないが。まったくもう、細かいところまで憶えてしまったよ。これで何度目なんだろう。日本中でこんなに何回も「氾濫」の第五話を見ている人間が私以外にいるか? いや、そんなことは自慢にならない。いい歳こいて、テレドラオタクか? どうして私は何度も日御碕の場面を見るんだろう? どうしてなのか。なんか理由があったようだが、今は、思い出せない。記憶力が衰えたことに関係するんだろうか。記憶なんてさっさと消えてくれと思っているからこうなる…… 良い記憶、悪い記憶、私は差別をしていない。きちんと消えてくれたら、どっちだっていい子だ。いかん、また酔いはじめた。私はキッチンドリンカー……、じゃない。まだそうなってはいない。飲まない日だってあるもんね。
次は掃除である。
掃除、洗濯、調理、セックス。家計簿、子育て。人妻が逃れられない日常業務。これら業務のうちで、真砂子は掃除には、一番手を抜いている。ただ掃除だけが、見えなければいい、という面を持っていて、徹底させなくてもいいからだ。掃除の際には、二通りの戦略を融通無碍に、というより、いい加減に、使っていく。取除くか、隠すか、である。ゴミは捨てるか封じ込めるかしかない。汚れは掻きとるか隠すかしかない。このことを考えるときにいつも思うのは、自分の抱えているゴミも、自分が身に被っている汚れも、同じ処理法しかないということだった。
今日は二日酔いで、風邪ひきで、恥をかいたあとだから、真砂子は,普段の何倍もの注意力を発揮して、きっちりと掃除をしていった。それが悪かった。ふだん掃除しないところまで気張って掃除してしまった。国芳よりも、結果はひどかった。