郊外物語
真砂子は、性的なものが、切りとって比較可能であると考えてしまい、人格全体の標識のひとつに過ぎないとは思い至らなかった。義人は、富美江の裸体写真から、富美江の人間全体へと連想を広げるのであって、写真は、彼にとっては手がかりの一つに過ぎないという可能性を真砂子は考慮できなかった。性的な行動を変えたところで、真砂子自体が今までのままならば小手先の目くらましに過ぎず、義人のほうこそ、自尊心を傷つけられたと思うかもしれないし、たとえ自尊心が傷つけられたと感じるのは大人気ないと反省したとしても、真砂子に対する哀れみと軽蔑をリセットしてくれないかもしれない。しかし真砂子はそういう可能性も想像できなかった。