郊外物語
読書室との境の壁は、向かって右側が、床から天井まで六段に仕切られた棚で覆われ、左側がクロークになっている。クロークの中の衣装の七割がたは義人の分だ。義人は、おしゃれだ。三十代の勤務医が三十数着も背広を必要とするだろうか。靴下は最低限膝までの長さがなくてはならない。ときどきガーターをする。ワイシャツも下着も例外なくシルクだ。真砂子は、義人にではなく、玲子に、服装を考えろといわれたことがあった。よほど垢抜けない、ダサいいでたちなのだろう。白衣の時以外は、Tシャツにジーパンに運動靴だ。もう若さでカヴァーはできない。確かに考えなければ、義人も子供たちも恥ずかしい思いをするだろう。しかし、どうしたらいいのかわからなかった。もう長い間そういうことに気を回したことがない。ファウンデーションをしたことがない。口紅は一本しか持っていない。下手なことをやったらチンドン屋だ.ちょっと屈辱的だが玲子に教えを乞おう。そういえば世田谷の女たちも、真砂子の服装や化粧についてはあきらめ顔を隠さなかった。ほかの点でもいろいろとあきらめられていただろうが。真砂子が、一度目指した目標を決してあきらめない、しぶとい性格なのに、回りの人間は、真砂子についてあれこれあきらめていたのかと思うと、苦笑してしまう。本当は苦笑どころの話ではないのに、苦笑で済ませてしまうところに、真砂子の詰めの甘さがあった。
右側の棚には、どこの国のものか知れない彫刻が置いてある。おどろおどろしい怪物だ。奈緒はそれを見ていまでも時々泣く。京都で買った扇子が開いて飾ってある。中国製の、石に彫った七福神。色紙に描いた絵や書。これらも誰のものかはわからない。小型テレビ。ミニコンポ。百科事典。年に二三回は真砂子も開いてみる。浮世絵全集。真砂子は猥褻画全集であるという先入観を持っていたので、意識的に見ないことにしていた。真砂子にはこれらすべてがガラクタのように思われた。義人も特に意味無く陳列しているらしいので、いつか一掃して、洗濯物や寝具の置き場に改造してやろうと真砂子は計画している。