郊外物語
「ま、そのうち思い出すとして。友達たちと、大岩の上で背中を洗いっこするの。石鹸を体中につけたまま飛び込むの。川音がごうごうとうるさいほどなの。また実を食べて、しばらく泳ぎまわって、大岩に上って、今度は頭を洗って、まっさかさまに飛び込んで。紋黄蝶やギンヤンマが水面すれすれに飛んでんのよ。クイナが鳴いて、たまに川岸にテンが立ってたわ。仰向けになって流れていくと、木の枝がときどき顔をなぜて、枝の向こうの青空にはお団子がたくさん積み重なったような入道雲が浮かんでて、それを飛行機雲が串刺しにしていく。ああもう、この世の天国だったわ」
「日本とは思えないな。バリハイだね」と達郎。
「ほんとねえ。だからこんないい子ちゃんに育ったのね」と玲子。
真砂子も含めて、みんな酔っ払っていた。
「自然だけでなくて、人間もまた懐かしい限りだわ。人口三百人の小さな漁村に過ぎなかったけれど、みんな親切で、邪心や私心がなくて、全員でひとつの家族を作っていたの。人間一個一個は弱いんだから、助け合ってこんなふうに生きていきなさいっていうモデルだったと思うわ。いまはもう昔の村ではなくなってるでしょうけど。私は、東京に出てきたときに、心の中にあの村を丸ごと包み込んで持ってきたつもりでいるのよ」
全員が長々とため息をついた。真砂子は三人の顔を順繰りに見ていった。義人は腕組みをしてソファアに背中をもたせかけて天井を見ていた。達郎は前かがみになって、肘を膝にのせ、顎を左手で支えていた。右手はジョッキを離さない。玲子は、両手を組んで腿の上におき、義人のまねをするように口を半開きにして上を見ていた。義人はたぶんつまらなかったのだろう。何度か聞かせた話だったからだ。達郎は、似たような子供のころの経験を反芻していたに違いない。真砂子は、密漁に対応するのは、山遊びではなんだったのだろうか、と思案してみた。玲子も田舎育ちだが、お嬢様だったから、こんな経験は少なかっただろう。やろうと思えばもっとできたことだったのに、ふるさとの自然を満喫しておけばよかった、とうらやましがってでもいたのだろう……
真砂子はそれまでの三人の話を聞いていない。真砂子の思い違いは甚だしいものだった。彼らの話の結論は、故郷とは観念であり、都会人の抱く幻想である、だったのだ。