郊外物語
葛城恵子の聴取を終えて所轄に向かうタクシーの中で、袋田は検視官からのメールを受けた。その内容は次のようだった。被害者の握りしめていた携帯は大幅に改造されていて、高分解能を持つデジカメのようだったこと。ただ一人の女の写真が数十枚保存されていたこと。その最後の一枚は、その女が刺身包丁を振りかざして突き刺す寸前のものだったこと。袋田がクリップをクリックすると、その最後の写真が画面に現れた。袋田はそれを見て怖気をふるった。人間はこんなにものすごい形相をすることが出来るのか。その女は今までずっと双眼鏡で覗き見ていた者たちの一人だった。
袋田はさっき闇の中で二人の巡査部長が退屈を紛らわせようと話していたことを思い出す。「ほんとに階段を使ったのかなあ」「緊急脱出用のシューターかなんか使ってそうだよな」「ああ、火事の時とか飛行機が不時着したときに使うトンネルみたいなやつな」「あと、すべり台とか」「九階からすべり台かよ」
袋田は想像してみた。そうだ、すべり台だ。袋田はあの女が手摺りに身体を乗せて滑り降りる姿を想像していた。
袋田は再び双眼鏡で対岸を見た。女に対する憐憫の情が急に胸に迫ってきた。袋田は二人の巡査部長に告げた。
「ガキどもが邪魔だ。踏み込む気が失せた。見張りは二人でいい。今日は止めだ」
十二月二十五日 日曜日
夫と子供たちを送り出した後、真砂子は格別に念を入れて掃除をした。まるで部屋全体を原状回復させて出て行くかのようだった。個々のものだけではなく壁や床や天井までもが今にも思い出になりそうで、いくらしっかりこすり、磨き、洗い、拭いても、もうその実体は奥へ退いてしまっていた。真砂子はガラスに打ち当たるハエのようにもどかしい思いに苛まれた。だが肉体を動かし続けていないと発狂しそうだった。
決して考えてはいけなかった。考えると発狂するから状況に任せるしかなかった。そしてその状況は日常の訪問客と同じように玄関から入ってこようとした。
午前九時にドアチャイムが大きな音を立て、同時にドアが強くノックされた。
「警察のものです。ドアを開けてください」
切り口上の女性の声だった。台所にいた真砂子はへなへなと床に崩れ落ちた。チャイムとノックの音は止まない。まるで乱打だった。数人の警官がいるようだった。



