郊外物語
「葛城さん、なにをおっしゃってんですか、人の命の問題なんですよ、お答え下さい、葛城さん!」
老女は苦痛で顔をゆがませながら極めて小さな声でつぶやいた。
「八階から九階へ上がる踊り場を過ぎたところに女性が立っていたと思います」
「おんな? 女の人だとどうしてわかったんです?」
「……生理の匂いがしました」
午後八時。
鹿野家のクリスマスパーティーは今や宴たけなわだった。酔った義人は身振り手振りを交えてしゃべっていた。孝治も負けずに時々興奮して立ち上がった。義人が面白がってアルコールの入ったシャンペンを飲ませた結果だ。奈緒は頬を高潮させて二人を交互に見比べ、時に応じてどちらかの味方につく。真砂子だけは、土気色をした顔に表情を浮かべないまま、上体を傾がせて物思いにふけっていた。陽気な振りはもう出来なくなっていた。彼岸からこの世を見ているような、儚いものたちを慈しむような姿勢だった。カーテンは引いていない。それぞれがカーテンを引く必要を感じないのだ。窓の外は、雪もなく風もない。ベランダの下の大通りを走る車もめったにない。街のいたるところで多種多様なクリスマスが繰り広げられているはずだ。だが、通りを渡ったところに建つ高層ビルの十階の一部屋は、クリスマスとは無縁だった。男が双眼鏡で闇の中に立ってひたすら鹿野家の様子を覗いているだけだからだ。彼のそばに椅子を寄せて坐っているのが所轄の巡査部長、郡司晴久と中西徹だった。袋田は双眼鏡を首に垂らすとため息をついた。ビルの管理会社に要請してオフィスの一つを使わせてもらっている。マンションの出入り口には私服が詰めている。令状は今頃白バイ警官の内懐に入って西東京市あたりをこちらに向かって走っているはずだった。



