郊外物語
「どの日だろうと午前午後に関わりなく、順路は一定でございます」
袋田は興奮を抑えきれなくなってきた。
「では、十時に葛城さんが自室のドアを出られたとします。まずどこへ向かわれますか?」
「建物中央にあるエレベーターに向かいます。二基のうちのどちらかに乗って一階まで降ります」
「一階に着いた時点で大体何時ごろでしょうか?」
「十時五分です」
袋田は老女の左手首の腕時計を見ながら不審げに尋ねた。
「失礼ですがお眼がご不自由なのに時計が読めるのですか?」
葛城恵子は右手で時計をなぜながら嫣然とほほ笑んだ。
「ご覧のとおり、私と同じような年取った時計を身につけております。秒針を備えた音の大きな時計です。私は時計を聴いているんです」
「なんですって?」
「眠っているときはさすがに無理ですが。朝起きると私は電話で時報を聞くことにしています。その後は時計の秒針の立てる音を数えていきます」
盲目の人間が補償作用として他の感覚機能を発達させるとは聞いていたが、目の前にその当人を見るのは経験豊富な袋田にとっても初めての経験だった。
「その後はどうなさるんですか?」
「ゆっくりと足馴らしをいたします。まず建物の東翼まで行ってから引き返して来て西翼まで歩きます。階段を昇り二階に着くと同じように東翼まで行ってから戻って来て階段を降り再び一階の東翼まで来ます。これで足馴らしを終えます」
「その時は何時になりますか?」
「十時十六分か十七分です」
「それからどうしますか?」
「階段を昇り始めます。一段につき一秒の速さです。踊り場まで十段ありますので二十秒で二階に着きます。十秒休んでから三階に向かいます。これを繰り返して十四階まで行くのです。汗まみれになりますよ。あとはその階の廊下を往復してから階段を降りて下の階へ行き、それを繰り返して八階の自室に戻ってきます」
袋田も汗をかいてきた。十時十六分に一階を出発すると十時十九分五十秒に九階に着き、十七分に出ると二〇分五十秒に着く。袋田は震える声で質問した。
「葛城さん、よーく思い出してください。あの日、階段の途中で誰かとすれ違いませんでしたか?」
袋田は相手のかすかに開いた白目を見つめる。
「……」
「葛城さん、どうかなさいましたか、葛城さん」
「……言いたくありません」



