郊外物語
「ほう。抵抗力がつくことをよく知ってましたね。だが、もっと簡単な理由です」
「あっ、そうか。つばをつけてからページをめくるのであって、ページをめくってからつばをつけるのではないんだ!」
「そのとおり。毎日一ページずつというのが守られていたらば砒素を舐められません。二ページ目をめくろうとすると、第一ページを触った指を舐めてしまいますがね。ナポレオンはやっぱり癌だったんでしょう。
ちなみに、医者が他人を殺すのは簡単ですが、自殺するのも簡単です。局部麻酔をかけておいて、心臓なり動脈なりを切開すればいい。飲めば即死するような薬も簡単に手に入る。
僕の死んだおやじも医者でしたが、青酸カリを胸ポケットに入れてましたね。二重のカプセルにはいってました。外側が睡眠薬、内側に青酸カリが入っていました。合理主義者でしたが、医術に関しては、サムライでしてね。手術の失敗や、診断の誤りで患者を殺してしまった場合は、死ぬつもりだったらしい。実は世間の非難に耐える自信がない小心な男だったのかもしれませんがね」
「まあ。それじゃあ、お父様、最期はその二重カプセルを実際に服用されて、自死なさったんですか?」
玲子は、気味の悪さと可笑しさが両方表れてしまった表情をもてあましながら尋ねた。
「いえいえ、最期は全身癌に犯されて、モルヒネの世話になりました」
しばらくのあいだ、沈黙が座を支配した。
「筋肉感覚に訴える殺害ってのは、視聴者に強く訴えると思うよ。ぼくもかっとなったもんな」
達郎が、女房褒めから足を洗えなくなったか、と他の三人に不審感を抱かせるのもお構い無しに言った。脚を開いて膝に肘をつき、上体を揺らしている。彼の姿を真砂子は見つめる。この人は随分酒に弱くなった、顔面がますます土気色を濃くしているし、眼の周りが黒ずんでいる、テニスをしていてもすぐ息が上がるし、ボールがよく見えていない疑いがある、絶対体のどこかを悪くしているはずだ。夏以降、平日の昼間、ちょくちょく真砂子に電話をかけてくるようになった。それは義人に言いつけてある。義人は、それがどうした、などと言ってまともにとりあげてくれない。
「ヘビー級のボクシングや相撲なんか、見ているほうも力が入るでしょ。殺人場面もああじゃなくちゃ。日御碕じゃあ、体当たりして突き出しだからね。充実の一番だったな」