郊外物語
夢中になっている神崎の背後でノックの音が繰り返される。トントントントーントーントーントントントン。昔モールス信号で使われていたSOSである。やっと気づいた神崎は、同業の仲間しか知らないたたき方なので、警戒心を持たずに重い身体を立ち上がらせてドアを開けた。
そこに立っていたのは仲間ではなかった。誰であるかはすぐに思い出した。夏ごろに仕事をした顧客だった。
「おい、ちょっと、困るんだよ、あんた」
その男は神崎がそう言うより前に部屋に入り込んでいた。
「出て行ってくれよ。あんたポリか? なんでここがわかったんだ」
肩をつかんだ神崎の腕を払うとその男は作業台の前の椅子に腰を下ろしてしまった。
「お前の後をつけた」
神崎はそばに呆然と立ったままこの男に会った時のことを思い出していた。
「紀伊国屋の地下で会った後お前は伊勢丹に入った。一階を走り抜けてタクシーをつかまえた。四谷三丁目で降りると地下鉄に乗った。赤坂見附で乗り換えて広小路で降り、遠回りしてここまで帰って来た。何度も後ろを振りかえりながらな。階段の踊り場でお前の仲間が来るまで待った。仲間同士の暗号や合図をお前らは好きだからな。それを知るためだ。案の定だった」
神崎は切れそうになりながらも我慢する。警察に踏み込まれたら確実に刑務所行きだった。
「仕事だ。金はちゃんと払う」
男はその仕事の内容を話し始めた。神崎は諦めてメモを取った。難しい仕事ではない。神崎は事務的に説明した。
「シャッター音は完全には消せないけど、普通の音量の着信音をかぶせて分からないようにできるよ。二メートル離れてくれれば、話中のふりをしていたら、相手には聞こえないだろうね」
神崎は代金をメモ用紙の端に書いた。男は苦笑した。
「明日の昼には出来てる。例の合図であのドアをたたいてくれ」
神崎は男がダミーを作れと言って見せた携帯の本体を見てつぶやいた。
「今度はソフトバンクか。前の時はドコモだったな」
十二月二十三日 金曜日
午前十時のコーヒー店が混み合う理由が真砂子には分かってしまった。客層を見ると、散歩途中の老人もちらほら見られるが、圧倒的に多いのは主婦の一人客だった。朝食の後片付けや掃除を終えてほっと一息つきたいのだろう。真砂子もかつてはそういう気分を彼女らと共有していたものだった。



