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郊外物語

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真砂子は、この老人の不思議な言葉に、どう反応していいのかわからなかった。世知にのっとった見当を述べているに過ぎないのだろうが、深読みすればいくらでも出来そうな発言でもあった。真砂子は、いい加減なあいづちしか打てずに恐縮して引き下がった。そして、すぐさま、もうこの人とは一生会うことはないだろうと直感した。
真砂子と義人も含めて火葬場について行くマンションの住人はいなかった。父親は骨になった玲子とともに火葬場から直接に長野の飯田に帰っていった。
真砂子は再び立ち上がり、洗面所に向かった。トイレでは、自分のロリエを取り替えた。鏡を見た。髪はぼさぼさ。パジャマの第一ボタンが千切れてなくなっていた。胸をかきむしったせいかもしれなかった。すっぴんの顔は見られたものではなかった。もうあと少しで三十八である。隠しても隠しようがないしみとくすみとしわとたるみの大盤振舞いだった。とりわけ、今朝のやつれようは尋常ではなかった。まるで余命幾ばくもない癌患者の顔だった。顔の皮膚はビール瓶の色に染まり、目の下のたるみはハンモックのようだった。目じりは垂れ、いくら口をすぼめてもカラスの足跡が消えなかった。そんなことをすると、かえって、噴火口から四方八方に谷が切れて延びるように、口の周りに皮膚の切れ込みが放射状に延びてしまった。目だけを見て目の周囲は見ないようにした。目から目を離さずに、やや顎をあげ気味にして顔を左右にゆっくりとねじった。顎が作る陰の中で、風を受けた凧の骨組みのように、たるんだ皮膚を首の筋が後ろから押していた。口の両端が垂れていた。そこから皺が末広がりに顎へと続いていた。頬を奥歯で噛んでみる。皺がほとんど消えて頬骨の下に陰ができた。ふと安堵して、まあ,許す、とつぶやいたとたんに鏡の中で頬が元に戻った。近い将来の自分である梅干ばあさんが、早々とアポイントメントをとりに来た感じがした。鏡は容赦してくれないのだ。みるみる顔全面に怒りの表情が浮き出た。たたき割ってやろうかしら。
真砂子は、鏡を呪いながらファウンデイションを厚く塗りたくった。寝室にとって返すと、厚ぼったくて重いオレンジ色のとっくりセーターを着て、ジーパンのウエストを鰐皮のバンドで締めあげた。バンドの穴が三つも狭くなった。
作品名:郊外物語 作家名:安西光彦