郊外物語
二時ちょうどに、黄色い袈裟を着た六十年配の僧が、紫色の袈裟を着た二人の若い僧を従えてはいってきた。僧達の傍らに、今着いたばかりといった様子であたりを見回している喪服を着た義人の姿があった。真砂子は、知人が代わりましょうと声を掛けてくれたので、義人にはかまわずに棺のすぐ前の席に坐った。三人の僧が十字架を見てどう反応するか興味深く観察していた。僧達は、目を足元に落として静々と進んだ。意識的に眼を逸らせていたのではなく本当に気づかなかったようだ。三人は棺の枕上に坐ると鐘を時々鳴らしながら経を唱え始めた……ノウバ、サッタナン、サンミャクサンボダクチナン、ターニャータ、オン、シャレイ、シュレイ、ジュンテイ、ソワカ……
読経が十分ほど続いた後に、黄色い袈裟を着た僧が、傍らに立っている喪服の男に眼で合図をした。その男は玲子の幼馴染の三津田速雄だ。玲子の父親より半日遅れて上京し、葬儀委員長を買って出た。三津田は電報を読んでいく。よほどあがっているのか、ただいまから弔電を読み上げます、というところを、祝電、と言った。あわてて言い直したものの、一瞬読経が止まった。
読経の声、立ち上がって列を作り焼香する人のざわめき、祝電を読み上げる金切り声がしばらく続いた。最後の焼香が済むと、読経も止んだ。僧達が三津田の先導で去り、人々は静まった。
膝下までとどく黒くて金の縁取りのある僧服を着た外人神父が入って来た。七十代半ばの銀髪の男だった。長身過ぎるために猫背である。鼻でも悪いのか、口が半開きだった。縁なしの眼鏡の奥では濁った灰色の目が落ち着きなくあたりを見回していた。焼香台の前に立ち、顔をわざとしかめてからほほ笑んだ。おもむろに、下手ではない日本語で説教を始めた。学生時代の玲子を教えたことがあるという。玲子は中学生のときに洗礼を済ませていたそうだ。神父は思い出話にふけった。ふと気を取り直すと、カソリックとはなんぞや、といった啓蒙話に移った。真砂子は、なにやらセールスマンの押し売り話を聞いているように感じてうんざりした。



