郊外物語
義人は台所に行き、瓶ビールと二つのグラスを持ってきて、サイドテーブルの上に置いた。またどっかと坐った。
「けっこう飲んだんだがな。のどが乾いてきた」
真砂子の分も注ぐと、自分は一気に飲み干した。通夜や葬式で酒を飲むのを不謹慎だと非難する人間は少ないだろうが、真砂子はその少数派に属していた。だから斎場の二階に行くのは愉快でなかった。二階で飲んでいる人たちを許す理屈はないものか、としばし考えたものだった。深い悲しみを紛らわすため、あるいは逆に、悲しみを限界まで呼び覚まして破裂させ忘れるため、という言い訳はありうる。いずれにしても、死者と深いつながりがあった者のみが許されることのように思われた。そのような者は、つい死者の傍らでの飲酒にはまってしまうかもしれなかった。義人が、わざわざ忘年会に出向いて酔っ払い、今また飲もうとしているのも、死んだ玲子と深いつながりがあったからこそではないか。真砂子は行方のわからなくなった赤い携帯電話を思い出していた。
真砂子は、自分ではビールに手を付けず、義人のグラスに注いだ。飲み干すとまた注いだ。台所にいってさらに二本持ってきた。黙って注ぎ続けた。心の中では、義人に呼びかけ続けていた。さあ、白状しなさい。玲子さんとのことをゲロしなさい.悲しくてたまらないんでしょ? 悲しいって言ってごらん? 正直に言ってごらん? そりゃ、私は怒るわよ。ひっぱだいてやる。携帯のことだって黙って見過ごしてはいられなくなるかもよ。でもね、その後に、許してあげるわよ。もう、あの女、死んでしまったんだし。いくら悲しんでも、一日一日あなたは忘れていかざるをえないのよ。私はとても大きな人間なのよ。あなたは私を見直し、惚れ直すわ。私の勝ちよ。
「義人さん、あなた悲しくはないの?」
「哀悼の哀の字での哀しみはある。悲劇の悲の悲しさはない」
「哀しみと悲しさはどう違うの」
真砂子はごまかされかけているのを承知の上で義人に語らせてやる余裕があった。
「哀しみは傍観者に生じるんだ。人にだけではなく、人を含む情景に対して、ときには情景だけに対しても、湧きおこる情緒だ。悲しさは当事者に生じるんだ。当事者とみなすだけでもかまわない。人と自分とを巻き込んだ運命に対する感情だ」
「じゃあ、あなたはあくまで自分は傍観者だとおっしゃりたいのね」



