郊外物語
画面は再び日御碕灯台下にズームする。崖の上に、赤いTシャツを着た女の姿が見える。伊都子は左手の甲をなめてから脇につける。さらにアップ。風に髪をなびかせた伊都子の悪鬼の形相が画面いっぱいに広がった。シャッター音が続く。ここでコマーシャル。
真砂子の心臓は破裂しそうだった。真砂子は右手で自分の左手首を触った。脈をとる。しかし、カウントが出来ない。患者の脈をこれまで何千回もとってきたのに。慌てふためいていて、数さえ数えられなくなっていた。
真砂子は、おとといの行為の際と同じように、ドラマの中にすぐさま入り込んで伊都子になりきってしまっていた。今まさに自分が日御碕の断崖の上から海を見下ろしている感じがした。ドラマでの目撃者の存在は、おとといの行為を目撃した人間も存在したのだろうという強迫的な連想を真砂子に持たせてしまった。額のすぐ裏あたりに漁船の影が見えそうな気がした。
真砂子は錯乱に陥った。
漁師って誰なの? 思ってもみなかった。目撃者がいたということ? 玲子が墜落するときにだれかが見ていたというの? ドラマの作者は玲子じゃないか。死んだ玲子は自分の殺害される様子を目撃する人間がいると前もって知っていた? それが誰かも知っていた? そんな馬鹿な!
「氾濫」は進行していく。夕日を背景に、漁師の正面の姿が映し出される。透明なビニールで防水した携帯電話を顔の前で構えている。がっしりとした上半身。つぶった片目の目尻に沢山の皺がよっているが、歳は四十前と思われる。場面が変わる。漁師は港にかえると、急用ができたと仲間に言って、ひとりでバスに乗りこみ日御碕に上っていく。灯台の辺りはすでに大騒ぎになっている。パトカーが二台停まっている。警官と機動隊員がしきりに崖下を見下ろす。機動隊員は、トランシーバーで、あと何メートルほどか、とか、応援は要るのか、とか大声で怒鳴っている。観光客が足を滑らせて墜落した、と土産物店の前で酔っ払いの老人が口の縁に泡をためて繰り返ししゃべっている。赤いTシャツを着た女が、左右から男達に支えられて土産物店が立ち並ぶ道を戻ってくる。伊都子は、頭を振り髪をかき乱して泣きじゃくりながら、昭子、昭子、と連呼する。漁師は、伊都子の顔をじっと見ている。



