郊外物語
真砂子は忙しくはしていても、目で達郎を追っていた。達郎は弔問客一人一人に丁寧に挨拶をしていた。態度は落ち着いていて、動作は緩慢、沈痛の面持ちを絶やさず、全身に悲哀の雰囲気をまとっていた。客はそのうえ、普段の達郎の不健康さを表わす面やつれを、この思いがけない災危の結果だと見誤った。真砂子は達郎と時々すれ違った。達郎は、会釈だけで済ますか、せいぜい、ご苦労様です、と低くつぶやくだけだった。達郎が、あんた、玲子に会いに行きましたね、なにがあったんですか、と訊いてくるのを、恐れおののきながら待っていた。はやくその事態になって欲しいとさえ思っていた。達郎を猜疑の中に放って置けばおくほど、彼の疑惑は強まるだろう。はやくこちらに言いわけのチャンスを与えてほしい……
機械的に立ち働きながら、自分だけの世界に迷い込んでいった。
達郎に向かって、あくまで、玲子とは会っていない、一階にいたときに玲子が落ちてきたのだ、落下直後の遺体を見ている、あんなに早く現場に着けたのはすでに一階にいたからだ、と主張するつもりだった。落下以前にもうマンションを出て病院にむかっていたと言いたい衝動に何度も駆られるが、落下現場にいたことは何人かの証人が明らかにするだろうから、それは不可能だった。遺体のそばにいたことは認めざるを得ない。冷静に記憶を辿ってみると、突き落としてから玲子の遺体を見るまで一分弱しかかかっていない。遺体を見て泣き出したとき、何人かの人間が注目したが、それ以前には誰にも会っていない。葛城さんには問題がなかった。野次馬のうちに、真砂子が泣き出した時刻を覚えている者がいたらありがたい。マンションのエレベーターの動作は、各階止まりに固定されていた。エレベーターで降りた場合に現場までかかる時間は、待ち時間、途中停止の時間をあわせると、三分程度になる。衝突音が聞こえたのが十時二十分だったと証言する人物が複数出てきているのは好都合だった。通常の手段をとる限り、玲子を突き落とし、しかも数十秒後にその遺体のそばにいることは物理的に不可能だ。



