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郊外物語

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二つのエレベーターはともに作動中だった。どうしよう。もしこの九階にどちらかが止まって人が乗っていたら? 真砂子は、玲子の部屋のある翼とは反対側の翼に移り、角に身を隠した。一息入れると、翼の端にある階段へと急いだ。階段を四段降りたところで、ゆっくりとした足取りの足音が下から聞こえてきた。一方、遠くで、プシュッ、という音がして、エレベーターのドアが開き、複数の人の足音が聞こえてきた。その人たちが用のある部屋に入るまで真砂子は廊下には戻れない。しかし、下からは別の人が昇ってくる。もうすぐ踊り場に姿を現すはずだ。進退きわまった。刻々と時間は経っていく。もうあれから三十秒は過ぎただろう。一瞬目を閉じた真砂子が次に見たのは、葛城恵子さんの姿だった。一縷の希望が生まれた。
葛城さんは、八階に住む七十四歳のひとり暮らしの障害者である。子供のころの大病で視力を失ったという。耳も遠く右の脚もやや不自由だ。二階以上で営利活動をしてはいけないことになっているが、特別に許されて自室で針灸業を営んでいる。マンションの外に出るのは危険なので、マンション内を毎日散歩している。
葛城さんは、手摺りに左手でつかまりながら、階段の盲導帯に沿って上ってきた。スキーの服装をしていて暖かそうだ。手袋をはめて運動靴をはいている。真砂子はバッグを胸に抱きかかえながら壁に張りつく。四段下まで来た。真砂子は息をつめた。目の前を葛城さんがゆっくりと登っていく。やがて葛城さんは廊下に上がりきり、エレベーターのほうへ歩いていった。
真砂子はとっさに、バッグのヒモを右手の手首に二重巻きにすると、階段の手すりに腹をつけてのしかかり、両足で階段を蹴ってすべり降りた。踊り場で着地すると腰くだけになりながらも身を翻して再び手摺りにむしゃぶりついた。ジェットコースターに乗ったようなスピードでたちまち一階に着いた。幸い誰にも会わなかった。目をまわしたままで、がくがく震える脚を叱りとばしながらマンションの外へと駆けた。
階段の昇降口を走り出た真砂子は、どうしても左側を見てしまった。通りとマンションの建物との間は、遊歩道と花壇になっている。マンションの正面玄関であるエレベーターの昇降口の向こうに、すでに三人の人影があった。立っている人、坐り込んでいる人、肩をすくませ口を押さえている人。叫び声や怒鳴り声が聞こえてくる。
作品名:郊外物語 作家名:安西光彦