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郊外物語

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リビングに戻ってきた。掃除機の上にゴム手袋がおいてある。子供用のようなそのゴム手袋に両手を押し込むと、掃除機でテレビの下をつつき始めた。縁、隅、縁と、リビングを半周した。今、ベランダの引き戸の縁を丹念にこすっていた。玲子は、七本目のテープを結わえるところだった。その後姿に見入っていた。後悔していた。酔いがまわってきたのだ。腕を止めて、ただ玲子を見つめるだけにした。風の音、車の騒音、掃除機のモーターの音が渾然一体となる。変な気分になってきた。見てはいけないものを見ているような感じだった。なぜ後ろ向きの玲子の姿が見てはいけないものなのかはさっぱりわからなかった。強い胸騒ぎがしてきた。もはや玲子に対する憎悪すら忘れるほどの、奇怪な胸騒ぎだった。心臓が高鳴り、耳鳴りがし、手足が震え、粗相をしそうにさえなった。なんだろう、これは。いったい何が起こりかけているんだろう。
強風が大きな音を立てて引き戸を震わせた。
この瞬間、真砂子の脳みその真んまん中でカチリと音がした。何かの点火のスウィッチが入った。何度も見たあの場面、どの視聴者よりも、どの出演者よりも、どの製作スタッフよりも、そして恐らくは原作者よりもくりかえして見たあの場面に、真砂子は入り込んでしまった。あのドラマの中の、夫を親友に寝取られた女が、乗り移ったのである。
真砂子は長い夢を見ていた眠りからたたき起こされたかのように感じた。突然の覚醒。心はびっくりしたが、身はあらかじめ決められていたかのように躊躇なくベランダに向かってかがむ。
玲子はスツールの上に船首に立っているかのように両手を広げて立ち、ビルのあいだの朝日に向かってかわいらしい声を上げながらあくびをした。ため息だったのかもしれない。
真砂子は身をかがめたまま、よそ見をしている鹿に背後から肉食獣が迫るかのように、足音をたてずに一歩前進した。脇を締めて、ホッケー選手のように掃除機を体の前面に立て掛けている。掃除機の先端をゆっくりと宙に上げていく。左足を前に出し、右足を後ろに引き、身構えた。部屋とベランダとのあいだの段差でけつまずかないようにせねばならない。掃除機のモーター部分がかかとにぶつからないか心配だった。突いたらすぐに引かねば、とも思った。風が凪いだ。玲子のスカートが垂れすぼまった。玲子のお尻がややこちらに突き出ていて位置が明らかである。
作品名:郊外物語 作家名:安西光彦