郊外物語
私がノイローゼになりかけているのに、達郎は平気であいもかわらず毎日飲んだくれていました。昔は不登校児の落ちこぼれでぐれていたし、今も飲んだくれだが、人なつっこくて好感の持てる青年、といった役回りを達郎は実にうまく演じていて、私をうらやましがらせたものでした。彼らは自分より明らかに劣っている部分を持っている人間を、安心してかわいがったり褒めたりするのです。ナニソレ、などと彼らから問われるというか、恫喝されると、私はついつい出来る限りの説明や弁明をしてしまって、結果、偉そうにと反感を買ってしまいましたが、達郎のかわし方はうまかった。この人は、そういう風に他人をじゃらしている、実は人を人とも思っていない、だからこそ平気で殴り倒したり殺したり出来るんだ、と私は思い知ったのでした。
私が彼らの一部分だけにことさら拘泥していたのかもしれません。私の狭量さや思いあがりや寛容心の欠如を、自分の反応の仕方の中に、自分でうかがい知るべきだったのかもしれません。不安で逼迫した生活のせいで、彼らに八つ当たりをしていたかもしれません。私は、人を責めてばかりいても仕方がない、自分を変えて、周囲に適応しなければならないと繰り返し自分に言い聞かせました。できる限りの努力はしたつもりです。しかし、もう私は生理的に我慢が出来なくなっていました。私の限界なんて、やわなものでしたんでしょうね。最終的には、彼らに対するいら立ちや腹立たしさは不思議にも生じなくなりました。それらを私は通り越してしまったのでしょう。そのかわり、私は生理的にぐったりするようになったのです。ことあるごとに、胸を強く圧迫されたような感じがして、その後もざわざわした胸騒ぎが消えません。体が重くなり、ひどく疲れます。
私が、アパートを替わりたいと達郎に言うと、どこへ行っても同じだぞ、お前は人との付き合い方が下手すぎる、と言われました。私は執拗に食い下がり、面倒臭がる達郎の尻をたたいてアパートから退散し、能古島という博多湾に浮かぶ島に一軒家を借りて暮らし始めました。私と達郎は、朝同じ便のフェリーで市内に通うことになりました。
島の生活は、台風一過、快適でした。生理が順調になりましたもん!



