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相撲番長

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 男前の佐藤はデブの乗って来た自転車を持ち上げ、細目デブに投げ付けようと構えた。中々良いアイディアだったが、全力で放った筈の自転車は、佐藤の頭に垂直に落ちて来た。水田を殴り終わったアニメ目のデブが、背後から自転車を掴んでいたからだ。佐藤はその後、二人のデブに挟まれ、俺の視界から消えた。数秒後、デブが離れると同時に現れた佐藤は、薄紙が倒れるようにへなへなと崩れ落ち、ジャニーズ系の男前だった筈のその顔は、ぐちゃぐちゃの真っ赤っか。都内のサロンで絶妙な色に染めた髪もボサボサ。ラインストーンで髑髏が描かれた高そうなTシャツは、乳首が見えるまで、伸ばされていた。毎度の如く、ケーホーは上手く逃げ出したようで、何時の間にか何処かへ消えていた。

 その間、俺は一ミリも動く事が出来なかった。人間の敵う相手では無い。三人も相手にした後だと言うのに、デブ達は何事も無かったように普通に自転車を起こし、故障が無いかどうかをチェックし始めた。その時初めて気が付いた。タイヤはパンクしていたのではなく、デブの重みで潰れていただけだった。自転車に問題が無い事を確認すると、デブは二人して満足そうに頷き、立ち上がった。二人共浴衣の紐が緩んで、だらしない体と白いブリーフが丸見えになっている。よく見ると文字までは読めないが、ブリーフのゴム部分に名前のような物が書いてある。黒のマジックで。その後二人は平然と浴衣を直し、コンビニの自動ドアに向かった。そしてガラスの扉が開いた所で、細目の方のデブが立ち止まり、急にこっちを振り返った。
 目が合った。
 細目は既に店内に入ったアニメ目を呼び止め、何かを耳打ちしている。
「あいつ、まだ伸びてないぜ。もっとメタクソにやっちゃわね?」
 俺は聞こえない会話の内容を、こう想像した。アニメ目が頷き、二人のデブが向かって来る。細目は真っすぐ俺の方に。アニメ目は、何故か少しコースを逸れて、伸びている佐藤の方に。もし相手が本当に人間では無く、動物だったら、俺は絶対に死んだ振りをしただろう。否、違う。もし森で熊に出会っても、死んだ振りなんか出来ない。恐怖がそれを許さないのだ。闇が怖くて絶対に目を開けてしまう。俺はゆっくりと向かって来るデブを、ただ見ている。大きく目を見開いて。全身を硬直させたまま。
 怪物がやって来る。
 そしてまた、信じられない事が起こった。デブは寝転がっている俺をひょいと跨いで、縁石に置いておいたおれの焼きそばを食った。半分以上残っていたそばを、三秒で。別の方向からもズルズルと麺を啜る音が聞こえて来る。佐藤の食い残したカップラーメンをアニメ目のデブが食っているのだ。その音は同様に三秒で終わり、発泡スチロールがアスファルトを転がる音がすぐに続いた。
 その後二人はまた何事も無かったかのようにセブンイレブンに入り、数分後、自転車の左右のハンドルに大きいビニール袋をぶら下げて、来た時と同じかそれ以下のスピードで西の光に消えて行った。今度は逆にアニメ目が運転し、細目が荷台に乗って。
 俺はただ放心するしか無かった。
 奴等のさっきの会話は、きっとこうだ。
「さっきの焼きそばうまそうだったから食ってもいいかな」
「俺もラーメン食べたい」

 水田が突然咳をして、口から飛び出した縮れ麺が宙を舞った。ほとんど同じタイミングで佐藤がうーんと唸り、寝返り打って目を開ける。外は大分暗くなっていて、街灯の明かりが灯り始めた。遠くから、誰かの走る足音が近付いて来る。ケーホーだ。
「ちょっと見てこれ大変だよこれ見てよ」ケーホーの手にはしっかりと携帯電話が握られている。「俊政くんこれ見てよなんかこの一本あっちの道の前に何かちょうちんとか変なもん作ってた工場みたいなのあったじゃん、あそこにこんなの出来てたほら見て」
 自分だけさっさと逃げ出した事を有耶無耶にしたいという卑しい魂胆丸見えの早口で、ケーホーが携帯を突き出した。毎度の事だから怒る気も起きず、携帯の画面に目を遣ると、なんか和風の、家の写真。
「なんだこれ」
「なんだこれってあれに決まってんじゃんあいつらきっとこっから来たんだよ絶対そうだよ間違いないよ」
「は?」
「は? ってあれだよあれ、なんて言うんだっけあれ、そうだちょっと貸して」
 一度は俺に預けた携帯を引ったくるように奪い取り、ケーホーは俺に、別の写真を見せた。
 木で出来た看板の写真。
 毛筆体で書かれた黒い文字。

 五所ノ関部屋

「これって」
「あ、思い出したっ相撲部屋!相撲部屋だよ!」
「は? ていうか何であんなとこに相撲部屋が出来てんだよっ」
「知らないよそんなの、でもあいつら確実に相撲取りだよ」
 あいつら、相撲取り。それで全て合点がいった。俺の鼻を折ったのは、張り手だ。佐藤をぶっとばした直後、距離を詰めた時のあの動き。あの摺り足。揃いの浴衣。でも何で、千葉に、相撲部屋?

 俺とケーホーは、取り敢えず水田と佐藤の介抱をする事にした。セブンイレブンの店長に水とマキロンとタオルを借り、まず水田を起こした。水田の左頬から左耳にかけて、手形のような赤い痣が出来ている。意識を取り戻した水田は激しく耳を痛がり、俺は多分鼓膜が破けているだろうと思った。男前の佐藤は顔が倍くらいに腫れていて、鼻と口から血が出ている。くっきり二重だった筈の瞼は、無惨にも歴史の教科書に載っていた埴輪みたいになっていて、もし事情を知らない奴が今の佐藤と擦れ違っても、きっと誰だか分からないだろう。
 晩飯を買いに来る客が、引っ切り無しに店を出入りし、その度に俺達をチラ見して行く。白い目で。
 生温い水気をたっぷり含んだ空気が、重い。
 俺達は何を話せば良いか、何をすれば良いか分からず、何となくそのまま解散する事になった。医者に行かなきゃと言って水田は家に向かい、平衡感覚が変になったのか、耳を押さえて斜めに歩く寂し気な後ろ姿が、小さくなって夜に溶けて行く。佐藤は何も言わずに立ち上がり、肩を落として宵闇に消えた。みんなと比べてダメージの少ない俺と、ダメージゼロのケーホーは、殆ど空になったマキロンと血の付いたタオルを店長に返し、何も買わないのは悪いと思ってジュースを一本ずつ買った。店長は優しい顔でじっと見るだけで、俺達に何も聞かなかった。
「どうしよっか。これから」ジュースを一口飲んで、ケーホーが言った。俺が帰ろうと言うまで、きっとケーホーは帰れないんだろう。自分だけ逃げ出した手前、じゃあ俺先に帰るよとは言えない。そんな顔だった。
「帰ろっか」俺は駐車場の縁石から腰を上げ、残ったジュースを一気に飲んだ。罪悪感があるのは、俺も同じだ。あいつらが凄過ぎて、何も出来なかった。まだ戦えるのに、戦わなかった。体も肩がちょっと痛いだけ。セコい痛みが、恥ずかしい。
 タンクトップを着た巨乳の女がコンビニに入って行くのと擦れ違ったけど、二人共、それについて何も話さなかった。
 ノーブラの乳首が浮き彫りになっていたのに。




 一週間。
作品名:相撲番長 作家名:新宿鮭