相撲番長
昼間だったらガリガリ君。今みたいな夕方はカップ麺とジュースを買って、駐車場の縁石で食う。俺は焼きそば派だからUFOを買い、排水溝にお湯を捨てて液体ソースを混ぜる。正直今日は、あまり食欲が無い。でも普段通りに振る舞わないと。
西の空が茜色になって来た。何時もだったら奇麗だと思える光線が、今日は不吉な事の前兆に感じる。考えれば考える程、何も考えられない。頭の中が空っぽで、気が付くと焼きそばがのびていた。
漠然とした嫌ーな感じ。例えると、外に出かけている時に、家でゴミ箱に捨てたシケモクの火がちゃんと消えていたような消えていなかったような。そんな感じを百倍にしたような不安がずっと、鼻の奥に貼り付いている。大好きな筈の焼きそばが、今日は泥の味。ぼんやりと遠くを眺めていたら、逆光の中、ヘンテコなシルエットが左右にぐらぐら揺れながら近付いて来た。
周りを見ると何時気付いたのか、みんなも何となくその影を見ている。近付いて来るに連れ、だんだん影の正体が露になって来た。なんだありゃ。
自転車。
ママチャリの二人乗り。
バランスが取れなくて、ハンドルが滅茶苦茶に揺れている。
その度に黒板を引っ掻いたような嫌ーなブレーキ音がする。
タイヤは真っ平らに潰れている。
デブ二人。
ぎょっとした。
浴衣を着た五分刈りのデブがパンクした自転車に二人乗りして俺達の溜まっているセブンイレブンにゆらゆらしながら近付いて来ているそしてその二人のデブのうち前に乗って大汗を掻いて息を切らしている方のデブはあのとき本屋の前で俺を伸ばしたあのデブに間違い無い。
あいつだ。
あいつだ。
あいつだ。
あいつ……
何時までたってもこっちに付かない。拍子抜けもいい所だ。あいつら……、馬鹿じゃねえの?
普通だったら十秒で着くような距離を一分ぐらいかけて走って来る自転車を買い物袋を両手に持ったおばさんが歩いて追い越して行く。その光景は長閑で、何とも微笑ましく、俺は何時の間にか不覚にも口元を弛めてしまった。まるで漫画だ。真っ赤な夕焼けの中、意味の無い二人乗りで、ゆっくりと近付いて来る汗だくのデブ。青春の一頁。
不意に強い視線を感じた。俺を見ているのは自転車のデブでは無く、水田と佐藤とケーホーだ。
やっぱり。
知っていたんだ。
その視線で確信した。仲間がヘンテコなデブにやられたと聞き、苦し紛れで見え見えの嘘に調子を合わせた。そして今、目の前に地元じゃ見た事の無いデブが現れ、仲間をやったデブが目の前のデブと同じかどうか確かめようとしている。俺の表情から真相を読み取ろうとしている。みんなの目は間違い無く、そんな目だ。俺の脳味噌の中を、そっと覗く目。
どうする?
俺は唇を引き締め、取り敢えず笑みを消した。乾いた唇を舐めて正面を向くと、デブはもう、すぐそこまで来ている。やるか。無視するか。迷っている時間は無い。四対二。数では余裕で優勢だ。反撃が来る事を想定さえしていれば、あんなヘンテコなデブにやられる事なんか無かった。今やれば、確実に勝てる。しかも、どうせもうみんなにはバレているんだ。無視する方がよっぽど不自然だろう。
やっちゃうか。
縁石に焼きそばを置いた。みんなもラーメンを置いた。デブがやっと駐車場に入って来た。デブの目を見た。目が合った。信じられない事に、デブは俺を無視して目を逸らした。覚えてないのか。俺を。デブが逸らした目線の先にあるもの。それは、俺の食いかけの焼きそばだ。
それに気付いた瞬間、思わず立ち上がっていた。一瞬で、血が煮えた。
「ブッコロスッ!」
デブの前に躍り出て自転車を蹴り飛ばした。ギリギリのバランスで二輪走行を保っていた自転車はあっけなくひっくり返り、二人のデブは達磨のようにアスファルトに転がった。浴衣の裾が捲れ上がり、今時小学生でも穿かないような白のブリーフが見えた。
「テメェ何シカトしてんだ豚っ」
立ち上がって見下ろす俺達四人対転がっているデブ二匹。勝負は決まった。後はボコるだけだ。
と、思っていた。
が、もう一言ぐらいカッコ良く恫喝してやろうと口を開いた時には、デブは二匹共立ち上がって仁王立ちでこっちを向いていた。立ち上がる瞬間、ブレイクダンスを踊るように両脚を百八十度開いたように感じたが、余りに予想を超えた動きだった為、目で追う事が出来なかった。俺をやった方のデブは前に会った時と変わらず無表情で、シューッ シューッ と不気味な息を吐いている。もう一人のデブも双子だと言われれば何の疑いも持たずにそうですか道理で似てますねぇと答えてしまうくらい相方とそっくりで、額から大汗を垂らしながら同じようにハァハァ息を吐いているが、よく見るとこっちの方は目が大きく、黒目が濡れて光っている様子は、その部分だけ見れば少年アニメのキャラクターのような可愛さがある。体は豚なのに、濡れた瞳だけがキラキラ輝いているのだ。
ぽんっ ぽんっ
唐突に、細目の方が自分の腹を二回叩き、それに続いて
ぽんっ ぽんっ ぽんっ
と、アニメ目も腹を三回叩いた。
「何だぁデブ。ナメてんのかコラァ」
カッとなった俺は思いっきり地面を蹴って細目に突進した。今度こそヘタは打たない。ボディをいくら殴っても、肉のクッションに邪魔されてこいつには効かない。拳をカチカチに固めて鼻先に突き出す。
「死ね豚っ」
そこにあった物は軟骨を殴り潰す感触では無く、夕焼け空だった。
俺は右ストレートを伸ばしたままベルトを掴まれ、宙に放り投げられていた。ウルトラマンが宇宙に帰る時の格好で、茜色の空を飛んだ。地面に叩き付けられるまでの数秒が、俺には物凄く長く感じた。
右肩に激痛が走った。デブ、強い。俺、弱い。やつらが俺に勝ったのは、決してまぐれじゃない事が分かった。それから暫くの間、俺は無様に転がったまま、何も出来ないで成り行きを見ていた。本当に何も出来なかった。ただ、じっと、それを見ていた。口をあんぐりと開けて。湖の畔に横たわる銅像のように、オカマポーズで固まっていた。
俺が見たもの。
アニメ目のデブに蹴りを入れた水田は、横っ腹に右脛がヒットするのと同時に、相手の右ビンタで吹っ飛ばされた。カウンターだ。斜め後ろに飛んで行く水田をアニメ目デブは摺り足で追いかけ、地面に叩き付けられると同時に駄目押しのボディを打ち下ろした。アニメのキャラが、地球を真っ二つに割る時の、あんな感じの打ち方だった。水田はデブの手技とアスファルトにサンドイッチされた状態になり、アメリカンクラッカーの紐を引っぱったように口と鼻の穴からラーメンを飛び出させ、気絶した。左の耳の穴からゆっくりと血が垂れて来て、襟足の毛の中に吸い込まれて行くのが見えた。