ふたりの言葉が届く距離
職員室の窓の向こうから体育をしている生徒達の声が聞こえてくる。
俺は校長という上司に提出するレポートを作成する為にキーボードを打ち鳴らし、俺より10年くらい先輩の川岸先生は小テストの採点をし、後輩である三宅先生は暇そうにあくびをしていた。
教員の仕事は授業だけではない。学校運営に必要な校務を担当し、学校行事を生徒の自主性を重んじながら成功へと導き、校内・校外における生徒の生活指導や進路相談や部活の指導などもしていかなければならない。
中学では反抗期真っ盛りの子供達が相手になるが、小学校と違って担当教科が専門になっているので、授業が無い時間はこうして作業が出来る。
「阿部さん、週末はドコ行くんですか?」
斜め向かい側に座る三宅先生が好奇心丸出しの顔で俺を見る。彼は教師間で「先生」と呼び合うことを否定している。それは徹底していて、校長まで さん付けで呼んで教頭によく注意されていた。
「ちょっとね、知り合いの所に」
俺はPCの液晶画面を睨みながら答える。
「彼女ですか?」
「まあ、そうかな」
「阿部さんの彼女って東京に住んでるんでしたっけ?」
「ああ……」
「カッコイイなあ……遠距離恋愛ってヤツっスね」
「そんなにいいもんじゃないよ」
さらに会話を続けようとした彼だったが、職員室に教頭が戻ってくると大人しくなり、仕事らしきものを始める。俺は心の中で教頭に感謝した。
「阿部先生」
その呼びかけで感謝の気持ちは取り消され、俺は教頭の座る机の前に立つ。
「松木くんの件はどうですか?」
「はい。先週も家庭訪問しましたが、会ってくれるようになりましたし、本人も少しずつ前向きに考えるようになっているので、良い方向へは向かっていると思います。先ずは保健室登校を足がかりとする為に、吉村先生とも相談しながら準備をしています」
松木圭吾は俺が担当するクラスの生徒で、不登校の状態になっていた。小学生の頃から休みがちで、中学に進学した去年からはほとんど出席していない。
だが、彼は「学校に行けるようになりたい」と俺に言ったんだ。
「保護者の方とも相談しながら慎重に対応して下さい」
「はい」
その後も教頭の話は校内のチャイムが鳴り響くまで続いた。
次は俺が担当する授業がある。
やりかけのエクセルファイルを保存してPCの電源を落としながら、今日話すべき内容を頭の中でもう一度整理していく。
しかし、職員室に戻ってきた先生達から話しかけられて、結局はそれも中途半端のまま教室へと向かった。
作品名:ふたりの言葉が届く距離 作家名:大橋零人