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ふたりの言葉が届く距離

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 白い雲が浮かぶ深く青い空の下で、太陽の光と熱を浴びながら歩いていく。

「阿部先生」

 駅に向かう途中で聞き覚えがある声に振り向けば、そこには初老の男性が立っていた。

「田島先生」
「いや、もう私は先生じゃないよ」
 そう言って消え入りそうな笑みを浮かべる。
「お身体の具合はいかがですか?」
「身体の方は問題ないんだ。たぶん聞いていると思うけど、心の方がね、ダメになってしまった」
「…………」
「すまないね、引き止めてしまって。これから出掛けるんだろ?」
「ああ、大丈夫です。ちょっと知り合いの所に行くだけですから。急いでいません」

 田島先生に会うのはこれが最後になる。そんな気がしていた。
 近くの喫茶店に先生を誘う。

 最初は当たり障りのない内容だったが、しだいに先生の話が熱を帯びていく。普段は静かな物腰だけど実はすごく情熱的な人だということを俺は知っている。
 自分が子供の頃の教師の姿から、教師になってからの子供達との思い出まで、田島先生は全てを吐き出すように話し続けていた。

「私はね、教師というものは全身全霊で子供達を愛するべきだと、どんなに裏切られても彼らを信じ続けなければならないと思っていたんだ」
「……はい」
「しかし、それはとてつもなく難しかった。“理想と現実”という言葉があるように、理想というものは手が届かないからこそ理想なんだよ。好きという感情は反転しても嫌いにしかならない。だが、愛するという感情は本人のエゴから生まれていて、それは憎しみと表裏一体なんだ」
 先生の目はもう俺を見ていない。
「私は、子供達を憎むようにはなりたくなかった」

 みっともない言い訳を並べ立てている目の前の男と、俺が知っている田島先生の姿が重ならない。
 それは自分の家族も顧みずに理想を追い求め続け、挫折した者の成れの果てだった。

 俺は視線を下に落とし、残っていたコーヒーを飲み干し、空になったカップを静かに戻して前方を見据える。

「あなたは仕事を途中で放棄してしまった。全てを放り投げて逃げてしまった。そんな大人の姿を子供達に見せてしまった。あなたは……教師失格です」
「そうだね……その通りだよ、阿部先生」

 そう言って、立ち上がった田島先生は深々と俺に頭を下げ、背中を向けて去って行った。
 俺はその場に立ちつくしたまま、それを見送る。
 こんなことを言うつもりはなかった。もっと感謝の言葉を伝えたかった。

 でも、尊敬していたんだ。他の誰よりも。
 
 いつか あの人のような教師になりたい。そう思っていたんだ。


 ドアの向こうに消えていく先生の後ろ姿に礼をして、俺は歩き出した。