ふたりの言葉が届く距離
ジャケットの内ポケットにある携帯が震えたのは、そろそろ懐かしの学び舎を出ようと思っていた頃だった。
『今どこにいるの?』
昨日聞いたばかりだというのに、理奈の声は容易く俺の心を捉えてしまう。
「俺達の通っていた大学だよ」
『大学?』
「白井がさ、久し振りに行ってみようって言うんで来てみたんだ」
『麻由美? 麻由美も一緒にいるの?』
「そうだよ。横にいるから代わる?」
『ううん……じゃあもういいよ』
「何かあったのか?」
『来週の予定……ダメになっちゃった』
「仕事か?」
『うん……』
「なら仕方ないな。その次の週末に行けるようにするよ」
『その週もどうなるか分かんない。わたしも忙しいの』
理奈の口調に感じた苛立ちが伝染してくる。
「じゃあ、いつならいいんだ?」
『当分ダメかも。また連絡する』
そう告げた彼女は、俺が返事をする前に通話を切った。
「なんで私の名前を出すのよ?!」
顔を上げた俺に向かって白井が言い放つ。
「本当のことなんだからいいだろ。嘘をつく必要なんてない」
「でも、理奈は怒っていたでしょ?」
「機嫌は悪かったな。仕事がかなり忙しいらしい」
「そうじゃないわ。私と君が二人でいたからよ」
「そんなわけないだろ。学生時代なら全然珍しくもなかった」
「今の私達は学生じゃないのよ」
理奈が俺と白井の関係を疑っているとでも言うのか。
バカバカしい。
かつての告白が破れた時、白井に対する俺の恋慕は消え去った。
白井にはもともとそんな感情は無かった。
今、俺達の間に存在しているのは友情だけ。
そんなこと、理奈には分かっている筈だ。
「私が悪いんだよね……やっぱり来るべきじゃなかった」
「そんなことはない。誘ったのは俺だ。お前はなにも間違ったことなんてしていない」
俺の言葉に白井が儚げな笑みを見せる。
「阿部くんさあ、誰にでも優しいっていうのは残酷なことでもあるんだよ」
「…………」
彼女の声を遠くに聞きながら、俺は開いたままだった携帯を閉じた。
作品名:ふたりの言葉が届く距離 作家名:大橋零人