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ふたりの言葉が届く距離

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 第3章



 理奈と一緒に朝を迎えている筈だった日曜日。
 俺は白井麻由美と二人で長い坂を上方へとゆっくり歩いていた。
「あんまり変わっていないねえ」
「俺達が卒業してから数年しか経っていないからな」
 相変わらず周辺の娯楽施設はボーリング場とカラオケと古びたゲーセンくらいしかない。
 この先には俺達が通っていた大学がある。特に行き先を決めていなかった俺の代わりに、白井が決めた場所だ。


「もしかして、慰めてくれるつもり?」
 待ち合わせの改札前で顔を合わせた時、彼女は上目づかいで微笑みながら挨拶代わりにそう言った。
 確かに、俺が白井に「会えないか?」と電話した理由は、離婚の件をもう少し詳しく聞こうと思ったからだ。
 こんな真似は余計なお世話なのだろう。だけど、あの日突然に彼女が俺に会いに来た理由は、その苦しい胸の内を伝えたかったからじゃないかと思ったんだ。
 でも、本当は俺自身が理奈に会えない寂しさを紛らわせたいだけなのかも知れない。

 あの日、交番に行くとすでに松木の母親が先に来ていた。
「たかが万引き」と連呼し、警察に連絡した店を罵倒し続ける母親。
 その後ろに隠れて俺と目を合わそうともしない息子。
 誰も俺を待ってなどいなかった。

『まあ、泣いている生徒を放っておけないっていうのは君らしいけどね。それで理奈を泣かせてどうするのよ』
 東京行きが延期になった経緯を電話で聞いた白井も呆れたようにそう言っていた。


 理系から文系まで数え切れない程の学部が押し込まれたキャンパスの敷地は非常に広大で、グルリと一周するだけでもかなりの運動になる。
 俺達は思い出のある場所をいくつか回って、文学部がメインで使っている建物の屋上に出た。この校舎自体が高台にあるので、大学を取り巻く街並みも一望できて見晴らしがいい。
 学生時代はこの場所によく来ていたな。理奈が好きだったから。
 彼女は執筆に行き詰まると、ここに来て空を眺めていた。
 向こうの山の方から吹いてくる強めの風が彼女の髪をなびかせ、俺はその横顔をずっと眺めている。
 そんな時間が永遠に続けばいいと、少し本気で考えていた。

「なんか風が強くて寒いね」
 屋上を歩いていた白井がそう言って足早に戻ろうとしている。
 そう、ここにはもう理奈はいないんだ。

 
 思い出の地を散策しながら、彼女は自分の結婚生活の話をポツリポツリと話してくれた。

 夫が強く望んでいた子供が結婚して二年経っても誕生しなかったこと。
 彼女が不妊症の検査を受けて子宮に問題があるかも知れないと言われ、治療したが改善されなかったこと。
 検査を拒否していた夫がいつの間にか彼女を抱こうとしなくなったこと。
 夫婦の会話が必要最低限になったこと。
 彼女が口答えをすると、暴力を振るわれるようになったこと。
 夫があからさまに浮気をしていたこと。
 彼女が密かに浮気をしていたこと。

「どこにでもある話よ」

 そう言って、白井は薄い笑みを浮かべた。