ホロウ・ヒル (1)
無駄話をしながら、それぞれの洗濯が終わる頃、一人の娼婦がよろよろ歩きながら井戸場に近づいてきた。
その危なっかしい足取りで、酒が入っているのが端から見ても判る。
「まずい。ヘーゼル姐さんだよ」
「シェル、隠れて」
シェルは仲間の言われたとおりに、ロープに干された洗濯物の後ろに隠れた。
「ちょっと、コレも洗って言ったでしょう−?」
そう言うと娼婦は、洗って干すばかりの洗濯物の上に泥まみれのシーツを投げ入れ、洗ったばかりのタオルで手を拭った。そのあからさまな嫌がらせに、洗濯場にいた全員が眉をひそめる。
「なあに、わざわざ持ってきてやったのに。ありがとうの一言もないわけ?」
ヘーゼルは自分に逆らう筈がない少女達を、イヤな笑顔を浮かべて眺めた。
そして洗濯物の陰にシェルの赤みがかった金髪を見つけると、骨張った指でシェルの髪を掴み、物陰から無理矢理引きずり出した。
「なに隠れているんだい。年増でくすぶった花売りに、挨拶する義理はないってことかい。随分と偉くなったもんだね」
ヘーゼルはねっとりとした仕草でシェルの額に掛かる髪を掻き上げ、若葉色の瞳をのぞき込む。その瞳に怯えた光を見つけると、ねじれた喜びが腹の底に沸いた。
「怖がらなくたっていいじゃないか、お前だっていずれは歳を取るんだ。綺麗な肌もシミだらけになる。それまで精々稼ぐんだね」
シェルを水で濡れた石畳の上に突き飛ばし、立ち上がる為についた手を力任せに踏みにじった。
じっと嵐が過ぎるのを待っていた者達も、シェルへのいびりに流石に黙っていられなくなった。お互いに目配せをし、一斉に飛びかかる準備をした。
段々と己の悪事に酔い始めたヘーゼルが、這いつくばるシェルの腹を蹴ろうとした時、それまで虚ろな目で騒ぎを見ていたクリストフが、獣の様な鋭い声をあげた。
腹を蹴ろうとヘーゼルが片足を引いたとき、泥の固まりがヘーゼルの顔に当たった。
短い悲鳴をあげ、投げた犯人を捜そうとするが、泥の固まりは息もつく閑もなく次々と彼女をめがけて飛んでくる。
とうとうヘーゼルは泥人形のようになってしまった。したたる泥を拭い毒つく娼婦を、少女達は唖然と見つめたあと、次第にくすくす笑いに変化していった。
「黙れ! ……ちくしょう、誰だあたしに泥を投げたのは!殺してやる!殺してやる」
わめき散らすヘーゼルを黙らせるかのように、石鹸水が入ったままのタライがヘーゼルの頭上に落ちた。衝撃でタライの底は割れ、石鹸水が飛び散った。
ヘーゼルは自分の身に起きたことを理解出来ぬまま、白目を剥き倒れた。
茫然とたたずむシェル達だったが、騒ぎを知った女将と店の者の声を聞きつけ、ようやく気絶したヘーゼルを介抱するため動き始めた。
作品名:ホロウ・ヒル (1) 作家名:asimoto