ホロウ・ヒル (1)
「ウーゴ?」
すっかり髪の毛が寂しくなった赤ら顔を、さらに酒で赤くした店主は目の前の客にそう聞き返した。
「多分、泥棒。いや誘拐犯、いやいや人買い…… まあ早い話、人間の売り買いを商売にしている人なんですけど」
そろそろ一日の〆の一杯を求めた客がやってくる時間に、この若者はやってきた。
くせのある黒髪。女が喜びそうな整った顔には、人の良さそうな笑顔が浮かんでいる。
まともな格好をしていれば、裕福な商人の坊ちゃんに見えなくもないが、残念ながら身に付けている服やマントはどこから拾ってきたのか、すり切れてボロボロだ。
しかも何となく沼のような泥と草が混じった匂いがする。
関わるのも面倒だ…… そう判断した店主は、ウーゴを忘れる事にした。
「ああ、女衒か。ここいらはロベリアで一番の花街だからな、そういう商売は珍しくないが、ウーゴって名前は聞いたことがないな」
店主の返事に若者はがっくりと頭を項垂れた。と思ったら、目の前のカウンターに勢いよく手をつき、ずずいっと店主に詰め寄った。
「またまた、ご冗談でしょ?ロベリア一の情報通のあなたが、繁華街の主とも言われているご亭主が、ウーゴの名前すら聞いたこと無いなんて!よそ者にあれこれ聞かれて、面倒くさい気持ちはよ−−くわかります。ですが、そこらへんをちょいと曲げていただいて教えてもらえませんかねぇ」
顔を近づけられたので、沼の匂いがますます強くなる。
店主は、力任せにこの胡散臭い若者を店から追い出す事に決めた。
「知らねぇもんは、知らねんだ。悪いが他を当たってくれ」
「そこをなんとか…」
「うるせぇ!」
店主は伸びてくる若者の手を払い、顔の側面に拳をたたき込んだ。
……これで、終わったと店主は思った。しかし店主の拳は届いておらず、若者の手のひらで止められていた。ぐ…っと力を込める。動かない。もう一度力を込めるが、若者の手はぴくりとも動かなかった。
必死になる店主に、若者はにこにこと笑いながら、もう一度質問を繰り返した。
「ウーゴっていう奴、知らない?」
「…知ら…ね…ぇ………っっ……」
かたくなな店主にため息をついた若者は、ふいに止めていた手の力を抜いた。とたんに店主の体はカウンターに倒れた。
「てめぇ!」
ダン!という音と共に、右手の人差し指と中指の間に剣の刃先が刺さった。
青くなる店主に若者は柄に手をかけたままポケットから金貨を取り出し、カウンターに乗せた。
「脅迫と買収。どっちがいい?」
沼臭い匂いを漂わせながら若者は実に楽しそうに……笑った。
作品名:ホロウ・ヒル (1) 作家名:asimoto