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ホロウ・ヒル (1)

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「誰か!誰か来て!」
 声が枯れるほどの大声をあげ、力一杯ドアを叩いていると、店の用心棒がドア越しにシェルを怒鳴りつけた。
「うるせえぞ、シェル!」
「お願い、ここを開けて!クリストフがひどい熱なの!」
「ああ?」
 用心棒はドアの鍵を開け、部屋の中をのぞき込んだ。
 ベットを見ると、確かに具合の悪そうな子供の姿があった。
 詳しい事は知らないが、この子供が女将の大事な金ヅルだと聞いていた用心棒は、急いで女将に知らせに走った。

 ぐったりと横たわるクリストフを見て、女将の腹は煮えくり返った。この子供を預かってから、この店には騒ぎばかり続いている。
 いっそのこと店から追い出してやろうかと考えたが、戻ってきたウーゴの反応を考えると恐ろしい。それより迷惑料を請求する方がいいに決まっている。
「しかたないね、医者を呼んでやんな」
「医者を呼べば、この店にこいつがいるって事がバレますぜ」
 そう言われ、それもそうかと考え直した女将はしばし考えた末、シェルに看病をさせる事にした。医者を呼ぶ呼ばないにしても、迷惑料の請求には変わりがない。
「シェル、お前が看病してやりな。死なせるんじゃ無いよ。いいね」
 そう言い捨てた女将はあっけにとられたシェルを残し、用心棒を伴い部屋を出て行ってしまった。
「なによそれ、クリストフが死んだら、医者を呼ばなかった女将さんのせいよ!」
 怒りで胸をむかむかさせながら、シェルは吐き出すように叫んだ。
 どうせ誰も頼れないのだ。
 それなら自分のやり方でやらせてもらうと、シェルは腹を決めた。

 その後のシェルの行動は素早かった。
 無断で厨房に入り店の食材でスープや果物のジュースを作っては、眠るクリストフの口元に運ぶ。
 額に乗せる手ぬぐいは温くなる前に何度も換え、時間も考えず冷たい水を井戸からくみ上げる。汗を吸って湿っぽくなったシーツは、遠慮せずどんどん変えた。
 一度、やりすぎだと店の者から注意されたが「文句なら女将さんに言って」の一言で黙らせた。
 女将の方も「看病しろ」と命令した手前、真面目に看病をしているシェルに文句を言える筈もなく、彼女の好きにさせるしかなかった。


 看病を初めて4日目にして、ようやくクリストフの熱が下がり始めた。
 汗ばむ衣類を取り替え、固く絞った手ぬぐいで首と顔を拭いてやる。それだけで楽になるのか、クリストフの寝息がさらに穏やかになった。
 快方に向かいつつあるクリストフを見つめ、シェルは安堵のため息をついた。
 押しつけられた形でクリストフの世話を始めて、最初は娼婦の仕事をしなくてすむとだけ考えていたが、一緒に暮らしていくうちに不思議な感覚が芽生えてきた。
 笑いかけられたら嬉しいし、小さな手が自分の手を掴めば頼られたようで誇らしくなる。クリストフが高い熱を出して呼びかけにも答えなかった時は、真っ暗な穴に落ちたような絶望感も感じた。
 クリストフが目を覚ましたら、話したいこともある。今は早くクリストフの水色の目が見たい。
「クリストフ。私、あななのお母さんに会ったのよ」
 ”ホロウ・ヒル”が何を指すのか判らなかったが、きっとクリストフなら知っているはずだ。

―― 元気になったら、クリストフを故郷に連れて行こう。

 クリストフの寝顔を見つめ、シェルはそう決心をした。
 娼館に売られて7年。シェルは限られた世界の中で生きてきた。ロベリアの街中はもちろん、世の中がどうなっているかも知らない。そんな状態で小さい男の子を連れて旅をするなんて、以前のシェルなら恐ろしくて想像できなかったが、不思議といまの自分ならできるそうな気がした。
”何があっても、クリストフと一緒なら大丈夫”
 他人が聞いたら馬鹿々しいと呆れられるかもしれない。でもシェルは絶対大丈夫だと、己の気を奮い立たせた。

 シェルは床に膝をつき、クリストフの枕元にもたれた。
 頬が赤いながらも、穏やかに眠り続けるクリストフの寝顔を見つめている内に、シェルの瞼は段々と重くなってきた。
 ちょっとだけ……と思いながら、シェルは瞼を閉じた。

作品名:ホロウ・ヒル (1) 作家名:asimoto