シゲの銛(もり)
『まず鳥の群を見つけるんだ。その下にはカジキの餌になる魚がいるから』
いつか兄が言っていたことばを思い出した。
「いたぞ!」
継男の叫び声がした。
ふらふらする足取りで、シゲはその場から立ち上がり、先の方へ移動した。
舳先では継男が銛を構えている。
シゲは身を乗り出して、先の方の海面をみた。魚の背びれが見える。カジキだ。
この時ばかりは気分の悪いのも忘れて、シゲの目は継男に釘付けになった。
継男がかぶりをふり、その手から銛がはなれた。そのとたん、船の前方でしぶきが上がった。継男の声がした。
「やった!」
ひと夏終わる頃、シゲの気持ちの中に変化が生まれていた。
まだ、それは漁師になりたいというものではないが、死んだ兄や従兄の継男のように、この手でカジキをしとめたいという思いだ。最初はしぶしぶだったが、シゲは休みの日には自分から船に乗るようになっていた。
カツオの一本釣り、鯖のハイカラ釣り、イカや金目鯛も釣りに行った。
もっとも、相変わらず船酔いは続いていたので、ほとんどの場合、シゲは使い物にならなかったが。
(つきんぼをやりたい。あんちゃんみたいにでかいカジキをしとめたい)
シゲの思いはだんだん強くなった。
不思議なもので、そう思い始めると、シゲの船酔いはおさまってきて、漁の要領もわかるようになった。
そして、最初はこわかった舳先に立つことも平気になってきたのだ。
カジキのつきんぼ漁の時期がめぐってきた。
従兄の継男はあいかわらず見事なうでで、カジキをしとめた。
ある日のこと、父が言った。
「シゲ。ついてみるか」
目の前に突き出された銛をおそるおそるシゲは手にした。鉄の重みがずしりと伝わる。
シゲは足にぐっと力を入れた。魚影を見つけ、船は全速力で走る。柱の上で見張っていた継男が叫んだ。
「シゲ。いるぞ。よく見てつけ!」
シゲは頬を上気させ、胸の動悸を必死で押さえた。カジキの背びれが波間から見える。
「シゲ。今だ!」
継男の声で、シゲは夢中で銛を投げた。
ザザザザ
しかし、力みすぎたのか、銛はカジキにかすりもしなかった。シゲはむなしく綱をたぐり、銛をひきもどした。
無性に悔しかった。なぜくやしいのか自分でもわからない。
「初めてだからしょうがないさ」
継男が慰めるように言った。
「今度はよく見てつくんだぞ」