コッペリアの葬列
真っ赤な昼、ホットケーキの蜜
黒いベッドの上で踊る朝
真っ赤な昼が空から堕ちた
蒼い夕べを呼んでみるけれど
真っ白な夜は凍てつくその目で牙を向くばかり
その詩を作ったことには、特に意味はない。mixiのコミュニティのトピックで、「自由に詩を作っちゃえ」みたいなものがあり、そこに適当に思いついたことを綴っただけだ。
ただ、なんとなくその詩が気に入って、その一文一文をテーマに小説を書こうと思って、書き始めた。そのうちの一つが、この「真っ赤な昼、ホットケーキの蜜」だ。
この「真っ赤な昼、ホットケーキの蜜」は、バーの店長と、そこへやってくる常連の女・カンナの開店前の数時間を描いている。カンナの突拍子のない提案で物語は進み、それが客と店主の関係を壊していく…という、少しアダルティックな短編だ。
一番最近書いた短編集のうちの一つに当たるわけだが、これらは最近入り浸っている呑み屋での経験が基になっている。勿論、物語は真実ではない。
最近私は一人暮らしを始めたのだが、それに伴ってそれまで実家にいたために融通の利かなかった深夜の時間帯に出歩くことが多くなった。実家にいた頃から通っていた呑み屋に頻繁に通うようになり、それに飽き足らず昼間の準備時間に喫茶店感覚で出向くことが多くなった。その延長線上でマスターと過ちを犯した。
そう話すと、この「真っ赤な昼、ホットケーキの蜜」は事実に忠実に描かれているような印象を受けるかもしれない。だが、それは間違いだ。この小説は、私にとっての「欲求」と云った方が正しい。
男は単純だとよく云うが、女の方が単純だと私は思う。ふと髪に触れられたらドキリと心臓が高鳴るし、抱きしめられれば目がとろんとしてしまう。抱かれてしまえば、何日にも渡ってその一つ一つの仕草を思い描こうとしてしまう。
まさにそのパターンに堕ちた私は、たった一人で舞い上がり、マスターに恋をした。年齢は親子ほど離れていたし、身長も私よりも随分と小さかったけれど（私は一七〇近いので）、恋は盲目とはうまく云ったもので、そんな違いもまったく気にならなかった。一度そういうことがあった後も何度か店に足を運んだけれど、マスターは私を抱き寄せたりするものだから、ますます私はマスターにのめり込んでいった。その想いが、一方通行だとは気付くことなく。
「一花は、歳が下過ぎてやっぱり子供にしか見えない」
そう云われて振られたのは、私が酒に酔った勢いで「好きです」と云ってしまったときだ。
じゃぁ、どうして抱いたんですかと問いつめたけれど、マスターはただ謝るばかりで、その理由を話そうとはしなかった。その曖昧な対応に耐え切れなくなって結局店を飛び出したけれど、未だにその真意はわからない。
「真っ赤な昼、ホットケーキの蜜」を読んだ方がいればわかるかもしれないけれど、マスターとカンナのやり取りの中に、
「私のこと、子供だと思いますか？」
「あぁ、子供だよ。少なくとも、もうすぐ四十路のおっさんから見れば、十分ガキだな」
というのがある。このやり取りは、実際の私の記憶から取ったものだ。
マスターは、よく私のことを「お子ちゃまだから」と云った。そうからかわれるのが悔しくもあり、でも楽しくもあったのだけれど、マスターと一線を越えた時点でそれがすべて単なる「遊び」のやり取りになったような気がしたものだ。マスターにとって、私は子供ではなく、大人の女だった…上半身を晒して眠るマスターを横目に見ながら、そんなことをぼんやりと考えた覚えがある。
でも、マスターは私を「子供にしか見えない」と云って離れていった。結局大人になりきれなかった自分が、取り残されたわけだ。
物語の中で、カンナは子供の面を剥ぎ、大人の女へと孵化していく。私が得られなかったものを、カンナは得る。どこで行き違ったのか、今でもあの小さな空間に堕ちていた昼を思い出しては、胸が締め付けられるような気持ちになる。
「水商売をやってる人間はそんなもんだよ」と、違う店のマスターに諭されたけれど、焼酎を舐めながら、やはりぐるぐると嫌な気持ちが胸の中で疼いてしまう。
完全なる真っ赤な昼にはほど遠い、私の不完全な堕ちてくる昼を、まだ持て余してる。
いつかはカンナのように大人の女になりたいと、そう願うけれど、まだあの店へ足を向けることができない。