コッペリアの葬列
WonderLand
プロローグで、「小説は少なからず自分を反映するものだと思う」と、私は云った。勿論反映する部分というのは事実であったり意思であったり様々だと思うけれど、私はそれが特に色濃い。
特に色濃く自分を反映した作品として、私はこのサイトでも投稿した「WonderLand」を挙げる。
読まれた方がいるかはわからないけれど、もし読まれた方がこれを読んでいたら、ひどく顔をしかめると思う。
「WonderLand」は、小学六年生の少女「アリス」が父親の不倫現場を目撃してしまうところから話が始まる。その浮気相手である「ウサギ」がアリスに気付き、名刺を残していく。その名刺に描かれた店でアリスとウサギが再会し、ウサギが自分と父親の逢い引きの場にアリスを招待する…という、鬼畜じみた物語だ。
勿論、これは事実ではない。私は父親の不倫現場に遭遇したことも、不倫相手に会ったこともない。父親が不倫しているかさえ、私は知らない。
ただ、私は不倫をしたことがある。二十一のときだっただろうか。二周り以上年上のその男性には、二人の娘がいた。その二人共が、彼の実の子供ではなかった。
私は彼の子供に会ったことはないし、彼は子供をとても愛していた。行為が終わり、ベッドに項垂れる私に、子供の写真を見せて自慢話を聞かせてくれたほどだ。
シティホテルの上層階で、窓の外に広がる暗闇に堕ちたビルの羅列をぼんやりと眺めながら、やや興冷めした気持ちでそれを見ていたときの記憶は、今でも鮮明に思い出せる。そこに幸福などなく、所詮夜の闇に隠れてしまう自分の虚しさと、倦怠感ばかりが堕ちていた。その虚無感と、「光と影」の温度差が、この小説を書き始めるきっかけになった。
物語中で、アリスはウサギから性交を見せられた後に、毎回五千円札を貰う設定になっている。この五千円も、私の中にわだかまりのようにして残っている経験から引っ張ってきたものだ。
私の場合は、お金ではなかった。お金を貰ってしまえば、完全なる援助交際だから、恋愛ではなくなる。彼は、毎回私に煙草を二箱くれた。マルボロのメンソール。その恋愛の中で、私が一番虚しかったのは、この二箱の煙草だった。性行為をした後に、渡される煙草。それを受け取り、それぞれ別れて帰路につく。
「おまえの価値は、煙草二箱分だけだ」と、正面から云われているようで、ひどく心が乱されたのを覚えている。
結局彼とは、長くは続かなかった。彼も完全に遊びのつもりだったし、職場の上司だったのだけれど、その職場を離れてしまうとすぐに連絡を取らなくなった。
煙草二箱で、身体を売っていたような感覚に陥ったのは、云うまでもない。それを払拭するように、毎回その日のうちにすべてを吸い切ってしまっていた。関係の代償に煩わされた経験から、物語の主人公であるアリスには同じようにして得た「代償」で、父親を潰させようと、あのような結末に至った。
物語に出てくる「ウサギ」は、私の欲求だ。…勿論、最後にウサギの本性がわかるが、それは後付けなのでそこは含まない。男への復讐と、そんな男に愛される子供への復讐、そうした黒い欲求で紡がれたのが「WonderLand」だ。
…ただ、いざ出来上がってみると、思いのほかに過激なものになった。気持ちが高揚してくると、ついやり過ぎる感がある。
子供の頃は、明るい世界しか見えなかった。希望や期待や、そんな輝かしいものに囲まれて育った。
でも大人になり、いつの間にか暗闇に身が紛れるようなことが多くなった。一度そうした暗闇に足を突っ込むと、その気だるさや倦怠感が癖になって、なかなか抜け出すことができなくなる。
黒に塗りつぶされた、午前三時の「ワンダーランド」、今でも読み返すと、煙草を吸いたくなる。