贅沢な寂しさ・・・(短編小説)
「恭介さ~ん、恭介さ~ん!」
「早く、戻ってきて~~~」
「どこに、いるの~」
「私、どうすればいいの~」
「私ひとりを置いて行って~」
「誰も助けてくれないの~」
「怖くて、恐ろしくて、体が動かないの~」
(12)
どうしても私には、今、自分が置かれている状況が信じられなかった、何処か、獲たいの知れない魔物がなせる業に取り付かれた!!!
そんなふうに思ってみたり、又、恭介がわざと何処かに隠れているような気がして、そう思う事で、今の混乱した気持ちから逃げ出したいと泣きながら、恭介の名前を呼び続けた。
夜明けから、どの位の時間が過ぎたのだろうか、ふと、我に返った私の前に、3人の登山者が現れて、私に近づいて来た!
私は無意識の中で恭介を助けてほしいと、誰かに頼みたくて、天神平に向かって歩いていたようだった。
あまりにも私の姿が異常な表情をしていたようで、呼び止められて、やっとの思いで、昨日からの出来事を混乱した状態の中で、説明して、救援者を呼んでほしいと頼むのがやっと出た言葉だった。
今の時代と違って、携帯電話も無い、こんな時は、人間の助けが絶対必要な時代だった。
天の助けのように3人の登山者に出会い、その中の一人に天神平のロープウェイ駅まで下山して貰い、救援隊を頼んでもらう事になって、そして、他の2人の登山者と共に私は、恭介がいなくなった場所へ同行してもらい、恭介と別れてしまった時の状況を何度も何度も説明して、恭介を捜せる方法を考えられるすべてを行ったが、やはり、恭介の姿を見つけることが出来なかった。
やがて、捜索隊が着いて、私は恭介がいなくなった、今までのいきさつを何度も話し、捜索をお願いして、ひとまず、肩の避難小屋で待つように言われて、婦警さんに付き添われて小屋で待つことになったが、それから、連日の捜索が数日続いたけれど、恭介を発見する事は出来なかった。
恭介が谷川岳で行方不明なったままで、何の情報も無いままに、ひと月が過ぎた頃、私は突然、逮捕された!!!
私の逮捕容疑は、『長谷川恭介の殺人容疑』だった!!!
私は何がなんだか分からずに混乱した気持ちのまま、警察に連行された!!!
恭介が発見されたとは聞かされていなかったし、ましてや、死亡したなどとは、想像もしていない事だった。
警察につれてこられて、聞かされた事は、恭介が行方不明になった場所で、私と恭介が言い争いをして、谷川岳の山頂、トマの耳からオキの耳に向かった少し歩いた細い登山道で恭介を私がマチガ沢側の谷に突き落としたと言う、殺人容疑だった!!!
そんな恐ろしい事は、もちろん、私には全く身に覚えの無い事だし、私が恭介と言い争いをするはずも無い事だった!!!
私は警察の取調室で、思ってもいなかった事、考えもつかない事をいろいろと聞かされた、特に驚いた事は・・・
「恭介と私が言い争いをして、私が、恭介をマチガ沢の谷に突き落とすところを目撃した人間!」
「登山者がいて、目撃証言を警察に話している事だった!」
あの日、谷川岳の頂上で、恭介と私以外は誰もいなかったし、誰にも会ってはいないはずなのに・・・
私は、今まで、一度も、恭介とは言い争いも、喧嘩もした事が無かったし、もちろん、谷川岳の登山中も恭介が行方不明になった時まで、そのような言い争いをしてはいない!!!
なぜ!私がこのような事で、容疑者として取調べを受けているのかさえも、悪い夢!、長い、なが~い、苦痛と悪夢に苦しめられているのか、理解出来ないまま、連日の取り調べで混乱した状態の中で私はひと月が過ぎた頃、ひどい体調の異変に驚き、苦しんでいた。
(13)
まるで私の体全体がねじれて、ちぎれてしまうほど耐えがたい腹痛と吐き気に水さえも飲めないほどの苦痛だった。
最初は、毎日の取調べで、身に覚えの無い自白を迫られて、脅迫されているように恐ろしくて、辛くて、体が耐えられずに苦しいのだと我慢していたが、私は取り調べ中に苦しみながら、失神して、病院へ運ばれて、しばらくして、私は意識が戻ったけれど、腹痛と吐き気は続いていた。
しかも、医師に伝えられた言葉に驚いた、私は、妊娠していたのだった!
「妊娠5ヶ月目に入っていると告げられた!」
私は、元々、生理不順で、今までにも、何ヶ月も生理が無かった事もあって、確かに、ここ数ヶ月は生理は無かったが、それほど、気にもせずにいた、それほど私は精神的にも幼く、人間として、成長出来ていなかった事を思い知らされた。
私の妊娠が分かってからも、取り調べは続いたが、私は、気力をふりしぼり、耐えた!
どんなひどい言葉で自白を迫られても、私は、絶対に、恭介を突き落としてはいないし、そんな恐ろしい事をしてはいない事だけは、自分を信じられた!!!
だから、自白を強要されても、侮辱された言葉を浴びせられても耐えられた!
それから数ヵ月後、まだ、取調べが続く中で、私は、恭介の子供を生んだ!!!
私の赤ちゃんは、生れて来る予定よりも一月以上も早い、未熟児で、生まれて数時間後に亡くなったと知らされて、私は、言葉では表現の出来ないほど悲しみと混乱した中で、絶望的な思いから、取調べ官の言う言葉に無意識にうなずいてしまった。
そして、私は、恭介を殺めた人間としての烙印を押されてしまった!!!
そして私は裁判所の法廷に立たされたけれど、もう、その頃は私の心も体も何の意識もなく、ただ、抜け殻のように、呼吸だけが勝手に息をしているだけの人間になっていた。
そして私は、恭介と私が言い争いをして、お互いの激情の結果、私が谷川岳の頂上から恭介を突き落とした罪を犯したとして・・・
「懲役3年の実刑を言い渡された!!!」
刑務所での生活は、苦しみ、悲しみ、絶望、その感情だけが今も鮮やかに思い出されるが、一日、一日、ひとつ、ひとつの出来事がどんな事だったのかは、思い出したくも無い記憶からか、刑務所での生活、日々の物事としては、四十数年が過ぎた今は思い出さずにすんでいる。
夢遊病者のような、日々の記憶の曖昧のままに、刑期を一年残して、私は突然釈放された!
それは、私が勤めていた、人形工房の師匠をはじめ、多くの友人知人の尽力で、嘆願書が出された事と、恭介の亡くなったと言う証拠や恭介の遺体が発見されなかった事で、釈放が決まったのだと、後で聞かされた。
40数年が過ぎた今も、私が殺めたとされる、長谷川恭介の亡骸は見つかってはいない!!!
私は、刑務所を出所したあと、時間が許す限り、恭介が行方不明になった、谷川岳周辺の山々を恭介の姿を求めて、恭介の手がかりを捜し歩いた、その殆どが私のたった一人での捜索活動であって、時には、谷川岳の頂上から、北につづく、一の倉や茂倉岳、蓬峠などを何度も、何度も歩いて、恭介の存在を求めて捜しまわって歩いた。
そして何の疑いも持たずに、長い縦走路を西に向かって、仙の倉や平標山までも捜し歩いたが、恭介の手がかりは何一つ見つける事が出来ずに、私は孤独感と釈然としない思いのまま、恭介と私の関係!
そして、彼の生死、存在を確かめる事さへも少しずつ、諦めるしかない事を悟った。
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そして私の青春は終わったし、たぶん、ある意味、人間を信じられなくなったのかもしれない・・・
作品名:贅沢な寂しさ・・・(短編小説) 作家名:ちょごり