贅沢な寂しさ・・・(短編小説)
恭介のその暗い表情の意味を私はまだ理解できずにいた事が、長い歳月が過ぎた今も悔やまれて、心が冷えて硬直するような悲しみが心を曇らせてしまう。
私はあの頃まだ心が幼すぎたのだろう、私の想いだけが強すぎて、恭介の苦しみや苦悩を分かろうとはしなかったのかも知れない!
恭介の暗い表情が私には息苦しいほど気まづく感じて、何も食べられずに水さえも飲もうとしない恭介の姿を見ているのが辛くなって、又、私自身の生理現象を長く我慢していた事もあり・・・
「恭介さん、私、ちょっと、そこまで」
「お花摘みに行ってくるわね!」
「ここで、待っててくださる・・・」
恭介さんは不思議そうな顔をして、お花摘み?って?・・・
「この辺に、お花は、あまり咲いてないよ!」
「でもゆっくり、お花捜して見て来て!」
「僕はここで待ってるから・・・」
「僕はとても疲れたから・・・」
「お花を見つけられないよ!」
そう言いながら、恭介は体を少し横に倒れるように寝転んだ、私は恭介の体を支えるようにリックの上に頭をのせて、つかれた体を休めて元気を取り戻してほしくて・・・
恭介をひとりにしてあげたほうが良いと思いながら、私は恭介のそばを離れた!!!
お花摘みとは、山でのお手洗いの事、生理現象の用をたす事を現す言葉だった!
なにげなく交わした、この会話を最後に、恭介と私は、あまりにも残酷な運命を生きる事になった。
10)
恭介には、この言葉、お花摘みの意味を説明出来るほど、その頃の私は大人の女ではなかったから、生理現象の気恥ずかしさから、ぎこちなく笑い、可笑しな顔を恭介に見せて、急いで、用を足せる場所を捜してまわり、笹薮の高く生い茂った中に隠れて用を足した。
私が恭介のそばを離れた時間はほんの10分ほどの短い時間だったと思うが、そのわずかな時間が恭介と私の一生を運命付ける、果てしなく長い時間になった。
私の不運さを決定づける時間になってしまった!!!
私は生理現象の気恥ずかしさをかんじ取られないように、身だしなみを特に気づかいながら何度も確かめてから恭介のいる場所に戻ったが・・・
なぜか、ついさっきまでふたりがいたその場所、恭介のいるはずの場所には誰もいなくて、私は、恭介も用を足しにその辺に行ったのだろうと、簡単に考えて、自分が背負って来たリックの中身を確かめて、恭介が食べられる物を考えて、あれ、これ、と思いながら、自分は恭介のいない間に恭介に気を使わずに食べられる、あんぱんを大口でほおばりながら食べて、恭介の戻って来るのを待っていた。
10分たち、20分たち、そして30分、1時間過ぎても恭介は私が待っている、ここでふたりが休憩していたこの場所に戻ってはこなかった。
「恭介さ~ん~、恭介さ~ん~」
「どこにいるの~、早く、戻って来て~」
「す~ぐ~に、恭介さ~ん~、返事をして下さい~」
何度も恭介の名を呼びつづけて・・・
のんびりやの私も不安な気持ちがどんどん広がって行き、どうしたらよいのか分からない、混乱した気持ちで、周りを捜し、誰かに助けを求めたくても、不幸にも、谷川岳の頂上付近にいる登山者は誰もいなくて、急いで、山頂から少し下った、肩の小屋避難小屋に急いで駆け込んでも、ここにも人のいる気配さへ無い、誰もいない!!!
私は急ぎ、駆け出して、元の場所に戻った!!!
恭介が戻っているかもしれない!、いや、絶対に恭介は戻って来ているはずだ!
そう思いながら、息が苦しいのをこらえながら、恭介の姿を求めて、ふたりが休んでいたあの場所に急いでかけ戻った!
けれど、無情にも、ふたりがいた場所には誰もいない、恭介は何処へ行ってしまったのだろうか・・・
私は、恭介が私の後を追って、用を足すために行った、オキノ耳方面に少し離れた場所まで行ったので、私の後を追って行ったのかもしれないと、何度も、何度も、恭介を捜して稜線上の足場の悪い登山道を恭介をさがして歩いた。
あとから気づいた事だけれど、なぜか、恭介が背負って来たはずのリックもなくなっていて、益々、私は混乱して、恭介の身を案じながら、不安を大きくして行った。
谷川岳の登山シーズンには少し早い時期でもあった事と、西黒尾根を登って来た歩程時間がかかりすぎて、頂上についた時間が昼をすぎて、3時に近い時間だった事に今頃になって私は気づいた!!!
あまりにも登山者としての思慮不足で未熟だった事から起きた事だったのかもしれないと、混乱する気持ちを落ち着かせようとつとめたけれど・・・
私が我に返って、恭介がただならぬ事態に至ったと悟るまでの時間、私はただうろたえて、ひとりで動き回り、探し回っただけで、どうする事も出来ずに無駄な時間を費やしてしまった事が悔やまれた。
けれど、もう、夜の闇はとっぷりと私に襲いかかり、私をがんじがらめにして、暗闇の中に閉じ込めてしまった。
(11)
ただひたすら、恭介が戻って来てくれる事を願い、祈りながら、ながい、ながい、夜の暗闇の中で、恭介とふたりで休んだ場所に私はひとりで一晩、寒さも感じないほどにただ、恐怖と不安に耐えて過ごした。
もちろん、何度も、肩の非難小屋へは行ってみたが、恭介とふたりで、谷川岳の頂上に立ってから誰にも会ってはいないし、非難小屋にいた登山者も無く、この山にいるのは姿の見えない恭介と私だけなのだと思った時、耐えられぬ寂しさと恐怖で体が硬直するほど恐れ混乱した。
恭介が私を驚かそうとして、きっと何処かに隠れていて、直ぐにでも、私の目の前におどけた顔をして出て来てくれると思いながら、何度も何度も、繰り返し同じような思いを意識して自らを抱きしめながら、体が硬直する感覚で息をする事も続けられないほどの恐怖感におびえて、絶えず周りを見渡しては闇だけは広がる絶望感に耐えていた。
ながい、ながい、夜が明けても、恭介は戻っては来なかった!!!
私はしばらくの間どうすれば恭介が戻って来てくれるのか、そればかりを考えていた。
ふと、気づいた瞬間!
やはり、恭介は何か危険なめに遭ったのだと思った!
確か、私が「お花摘みに行ってくるね!」といった時、恭介は、その前に一瞬だけ姿を見た「オコジョ」の事をとても気にして、私に話しかけていた事を思い出した。
「もう一度みたいな~」
「はじめて、見たけど!」
「本当に可愛いね~、小さな姿でも動きはすばやいね~」
確かに、そんな事を私に話しかけていた、けれど、私は、生理現象をぎりぎりまで我慢していた事で、恭介の話をしっかりと聞き受け止めてはいなかった事が、今、とても、おそろしい事に繋がってしまったのだろうか。
私は必死で自分の気持ちを落ちつかせて、この事態を誰かに伝えて、助けてほしい!
けれど、私の周りには何処までも続く、うごめく魔物のように、幾重にも折重なる山並みだけ!
そのど黒く巨大な風景が私を目指して襲い掛かってきそうなほど揺れ動いて、すざましい速さでせまり来るようで、私はもう身動き一つ出来ないほどの恐怖に震えていた。
今、だれひとり、頼れる人も無く、混乱と恐怖の中で助けを求める方法や考えさえ、思い浮かばなかった。
早朝の谷川岳山頂はどんよりと曇り風が冷たい、ただ不安と焦りが私を混乱させて、泣き喚くしか無く・・・
「私、恐ろしくて・・・」
作品名:贅沢な寂しさ・・・(短編小説) 作家名:ちょごり