贅沢な寂しさ・・・(短編小説)
その後の私の人生は、ただひたすら、人形の顔を描く、面相描師として、仕事に打ち込み、修行に励んだ、いつしか、私の描く人形の顔は何処となく恭介の面影に似た、そして私の描く幼児の顔には、美沙緒自身は一度も逢う事を許されずに亡くなったとされたわが子の面影を描き出していた。
私、原井美沙緒は恭介を失ってからの人生はいつしか、40年数年の歳月が過ぎていた、その日々の中で、時には新しい人生を選択する機会も何度かあった。
人を恋しく想い、愛おしい感情が生まれた事も何度かあったけれど、そのたびに、私自身の体の中で血液の流れが止まってしまったように、心が、感情が、どこかで固まってしまった場所があるような感覚に囚われていた。
別の人生を選ぶ、選択を拒むように、頑固な重石のような意識のない私自身がいて、新しい選択を邪魔をしてしまうのだった。
そんな長くて、短かった、40数年の歳月が過ぎて行ったが、昨年の春、私、原井美沙緒は、何気なく受けた、健康診断で、乳がんが発見された!
若い医師は、軽く、さりげなく、私に伝えて!
「どうやら、乳がんのようですね!」
「知り合いの専門医をご紹介しても良いのですが・・・」
「どうなさいますか?」
ごくごく、あたり前のように話す医師の言葉を私は他人事のように、耳に聞こえていて、診察室の空気の中に、私の感情はまぎれて行く・・・
私はあたりまえのように、何の心の動揺もなく、聞いていたのか!
「乳がんなんですか・・・」
「わかりました、お任せいたします!」
「ご紹介してください!」
何の感情の変化も無いように、口から勝手に出てくる言葉そのままに、私は、返事をしていたようだった。
その、3ヵ月後、私は、ある病院で、右の乳房を取り除く手術を受けた!!!
それは不思議なほど、穏やかな気持ちと、少しだけ贅沢な寂しさとでも表現しようか、孤独とは贅沢な寂しさと不安が入り混じった感情で、誰にも、左右されない生き方は自由だけれど、少しでも、気弱な感情を私自身が持った時、際限なく広がって行く不安!
否応なく、たったひとり、本当の自分の姿を見せつけられる!
そんな心の揺れる日々が過ぎて、私は気づいた、はじめて会った瞬間から、なぜか、私のは担当医に心惹かれていた!!!
最初は、懐かしいような感情に戸惑い!!!
何処かで出会った事があるような、切ないような、愛おしささえも感じる、気がかりで、不思議な人にみえたのだった!!!
確かに、清潔感のあるハンサムで素敵な青年医師だ!
医師の年齢40代なのだと少し後に、若い女性看護士に聞いた!
とても若く見えて、私の担当医だと紹介されて最初に会った時、私は30代の前半だと思ったほど若く感じた医師だった。
背丈も、高からず、低からず、バランスの取れた姿に惹かれる!
この若き医師に出会った瞬間、私は若き日のあのどうしようもない想いと人を疑う事を知らなかった切なくて、混乱と狂乱した日々が突風のような感情で私の心を捉えていた!!!
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なにより、誠実さが見て取れる感覚の美しさが好ましい、優しさから受ける信頼感をしぜんに感じられた。
私はこれより、命のすべてをこの医師にゆだねるのだと思い、思わず、じっと、顔をしっかりと見つめていたら・・・
「僕の顔、見惚れるほど、いい顔してますか?」
「それとも、珍しい物がこの私の顔についてますか?」
「眼と鼻と口、ちゃんとありますよね!」
私はおもわず言った・・・
「あまりにも、ハンサムなので、見とれてます!」
彼はちょっと照れたような表情をして・・・
「まあ~これからしばらくの間、よろしくおつきあいしてくださいね!」
「時には僕を嫌いになるかもしれないけれど・・・」
「原井さんも頑張ってくださいね!」
「僕も最善をつくしますから・・・」
「ご自分が、治りたいと思うことが大事で、治癒力も高まるのですから・・・」
この若き医師は優しい笑顔で話してくれた。
私は、慌てて、目をそらして、下を見ながら、医師の顔をまじまじと見すぎたことが恥ずかしくなって、言葉に詰まりながら・・・
「ハイ、分かりました、どうぞよろしくお願いします!」
乳がんの検査の後、手術をする事になって、担当医としての初めての診察日、この医師とそんなふうに、言葉を交わした。
『その医師の名は、長谷川純也、42歳』
何処となく、私の愛した人、『長谷川恭介』に良く似ている!!!
恭介は私と登った「谷川岳」で消息を絶ったまま、40数年の歳月がすぎた今も、その亡がらさえ発見されていない!
何度か、恭介らしい姿を見たと言う噂を聞いた事もあったけれど・・・
私は恭介を殺めてはいない、無実の罪に問われて、服役を余儀なくされて、その中で、恭介の実家や恭介の父の経営する病院は閉鎖されて、恭介の親族の消息も分からないままに歳月は過ぎて行った。
絶対にあり得ない事だと思いながらも、私は、恭介を想いながら、そして、顔さえも見ることを許されないままに、亡くなったと知らされたわが子の面影を「長谷川純也医師」の姿と重ね合わせて見ていた。
私の愛する人、長谷川恭介への思い出は、私の65年の生きた歳月の中で、あまりにも強烈で、鮮やかな愛と苦しみは、忘れようとしても、忘れることの出来ない記憶だ!!!
私の人生の中で何度かの淡い恋心を抱き、又、結婚に繋がる出逢いもあったけれど、私はその選択をせずにあえて孤独を選んでしまった、その選択を一度も悔やむ事も無く、むしろ、贅沢な寂しさを望んだのかも知れない・・・
人生は長いようで短い、短いようで長い、矛盾する思いだけれど、今の私は、この贅沢な寂しさに酔って、感謝して生きられる事がいい!!!
私に残された時間が後どのくらいなのかはわからないけれど、今、精一杯、悔いのない生き方が出来る!!!
今の私は、定期健診での担当医である「長谷川純也」彼に会える時間が何よりの心華やぐ、喜びであり、贅沢な寂しさで、切なさを感じ、複雑な心境を戸惑いながらも楽しみなひとときを味わえるドキドキ感に酔いしれているのかも知れない・・・
恭介の面影を偲ぶような、そして、若き日の情熱、煮えたぎるような熱い想い、恋心を思い起こしては懐かしく、切なく、私の取り戻す事の出来ない人生と歳月を思いながら・・・
『完』
作品名:贅沢な寂しさ・・・(短編小説) 作家名:ちょごり