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 飛んだ先は先程の街の一貴族の執務室の前のようだった。開け放たれた窓から同じ潮風の香が漂っている。奇術師の格好をした青年リーフは後ろにウサギがいる事を確認して一つノックする。
その返事は返らなかった。ウサギの顔を見上げると彼は一つ頷く。

(入っても大丈夫という事かな)

 リーフはもうノックはせずにそのまま扉を開いた。
 そこには一領主の姿とは思えない姿があった。
外は昼で廊下も光が差し込み潮風が吹いていた。しかしこの部屋はカーテンが引かれ、夜のように暗い。書類は散らばり、持ち主の40歳を越えているだろう男は床に座り込み自分の膝に顔を埋めていた。
 リーフは扉を閉め、彼の元に近付く。途中に散らばった書類の中には破かれたものまで含まれている。リーフは彼の側に片膝をついて座り、声を掛けた。

「こんにちは。貴方の願いを聞きに来た者です」

 反応はない。リーフは顔を近づけて耳元で囁くように、しかしはっきりと伝える。

「pielloのリーフと言います。向こうは名も無きウサギ。僕らに依頼しましたよね?」
 
やはり反応は無い。ふと思い、彼の顔を両手で無理矢理上げさせる。
 男の顔は土気色で意識は殆ど無いようだった。その手が握って離さない小瓶。
 少し考え込んで、リーフは男の胸元を肌蹴てその場所に手を当てる。

「時間の問題・・・か」

 このままなら緩やかにこの男に死は訪れるだろう。そうなるとリーフ達との依頼の契約破棄となる。リーフは見も知らぬ男のために医者を呼ぶ気もない。ただ願いを叶えにきただけだ。
 目を細め、彼に問い掛ける。

「このまま死にますか。貴方がどう生きてきたかは知らないが、最後の審判とやらの前に願いを叶えたくはないですか」

 これを悪魔の囁きと多くの人は呼ぶ。しかしリーフは思う。
 自分達を呼ぶのは人であるのに、何故自分達を目にすると恐怖に駆られるのだろうと。
 リーフたちは仕事に来ている。喩え今命が消えそうな相手に対しても。
 男の手が少し動く。そしてゆるりと目が開き涙が零れ、また力なく閉じた。
 リーフは手を離して立ち上がる。後ろで所在無く立っているウサギをきょとんと見直して問い返した。

「行くよ。何故驚いている」

 ウサギは不思議そうにこちらを見てくる。

「は?何で帰るのさ。依頼人がいるのに。依頼?依頼は今受けたよ。
 ・・・死者の冒涜?彼はまだ生きていただろう。ただ」

 ちらりとウサギの手にある依頼書を見て、リーフは少し困ったように笑う。

「詳しい話が聴けないまま、依頼がその紙切れ一枚でこっちが彼の望む願いを叶えなくちゃいけなくなっただけで」
 
溜息をつけるはずが無いのにウサギがそんな仕草を返してきたことにあははと笑って空間を渡った。

 リーフ達が辿り着いたところは先程の館ではないようだった。だが、似たような階級の家である事が絢爛豪華な造りで分かる。誰かが来る気配がしてウサギに掴まって身を隠す。その瞬間廊下を騎士らしき青年が通っていき、一つの部屋を激しく叩いている。

「失礼します!」

 そう言って中へ入る。その風情にリーフは声を上げた。

「何か見たことがあると思ったらさっきの依頼人の息子か。騎士の一族と別の領主の家か」

 この頃7歳になるまで貴族の子弟たちはいったいに居城で乳母と共に住んでいた。
 彼らの主たる愉しみはチェスのゲームを見物したり、彼らにとっての英雄や模範となる人物、つまり騎士に似せて作られた人形で遊ぶことだった。一般的に言って彼らは城内の他の子どもと一緒に遊んで楽しみを分かち合うことはなかった。貴婦人達はそんな彼らに先祖達の物語を語って聞かせ、戦場における先祖の勇気のみならずその人徳や理想を讃えた。騎士道的な価値体系はこうして早い時期から子ども達の中に刻み込まれていった。
 7歳の誕生日を過ぎると子ども達は両親と同じ食卓に付くことが許される。修行は此処から始まる。彼らは父親が親しくしている領主の城に小姓として預けられこの領主が彼らに一人前の騎士になるための最初の訓練を施すのである。
 馬に乗り、狩りの方法を学び、武器のあつかいになれるようになる。
 父親はわが子にとっての最上の教育者ではなかった。一切の身びいきや同情を避けるためにはわが子を城から遠ざけなければならなかった。
 訓練と並行として音楽や詩歌、礼儀作法、ダンスなどをほぼ例外なく教え込まれていた。
 14歳頃にはいまや若者と呼ばれるようになった彼らにしばしば近習の資格が授けれる。
 資格によって若者達は武術指南の鍛錬を受けたり、馬上槍試合の練習をしたりさらに領主に従って槍試合に出向いたり、時には戦場にも見物程度に加わったりすることができるようになる。
 こうした修行年限が終わり、新しい騎士を誕生させるための騎士叙任式が営まれる。
復活祭、聖霊降臨祭で行われる。
18歳頃になると近習たちは子どもの世界を離れることが認められ、厳かに戦士社会に受け入れられるようになる。
 先程の彼は丁度騎士叙任式の前の青年なのだろう。
 リーフはウサギに頼んで部屋の中へ入る。そうすると食って掛かる青年の姿が合った。

「父が亡くなったというのは本当ですか!?」

 相手の男は彼の父より少し年上という所で小太りな貴族だった。小さくリーフが嫌そうな声を上げた。
 隣でウサギは相棒の顔を見て納得したように貴族の顔を見た。
 前から彼の嫌いな猛禽類の顔だった。彼は嘗め回すように騎士志願の青年を見て甘ったるい舌の巻くような猫撫で声を発する。

「本当だとも。心を病んでいたらしいな。私もなかなか彼に会いに行けなかったから報せが来るまで知らなかったのだよ。」
「心を・・・?あの厳格な父が・・・?」

 呆然と訊き返す青年に貴族はいかに彼の父が立派だったかを語っている。しかしそれらを聞き逃していたの相棒に様子がおかしかったからだった。リーフは先程まで嫌がっていた貴族の方を食い入るように見ている。
 何か思う事があったのだろうか。
 黙ってそれらを聴いていた青年は青年らしく凛とした声で貴族の声を遮る。

「では・・・父の弔いに間に合いたいのです。暇を出しては頂けませんか」
「うん?」
「最期に父の顔を見たいのです。どうか帰還の許しを頂きたい」
「ならぬ!!!」

 想像以上に大声で否定されて青年は驚いているようだった。

「お前は3日後には叙任式があるだろう!お前の父の事は私も残念だと思っている。お前の気持ちも分からぬわけではない。
 だが、今叙任式を棄てても父の元に戻るのが父の望む事か?」
「・・・!」
「お主の父はお前に立派な騎士になってもらいたいと常日頃申しておった。それをお前は裏切るのか」
「・・・いいえ。世迷い事を申しました。」

頭を下げる青年の前で明らかにほっとしている貴族、

「なら・・・いい。お前は叙任式で一騎士となる。そしてお前の仕える主の下へ行くのだろう?」
「はい。それが、私の夢ですから」

 失礼します。と言い、青年は暗い顔で部屋を退出していった。部屋に残ったのは見えないが貴族とリーフ達二人。
作品名:laughingstock2 作家名:三月いち